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お友達の限界と崩壊

大学や研究所における研究室運営は、学問以外にも気を使うべき問題が色々あって、一筋縄には行かない。

まして、学部全体の運営、や私立大学の経営、研究所の組織運営となると、
もう研究なんかしていられないくらい、やることがたくさん出てきてしまうだろう。

そんなこんなで、日本の大学教授が発表する論文数は、年々減っているんだそうだ。

鈴鹿医療科学大学学長であり、元三重大学学長の、
「つぶやき」と「ぼやき」、略して「つぼやき」のblog から引用させていただく。、

イメージ 1

図は各国の論文数の伸びを示したものだが、
2000年ごろの世界的な停滞のあと、他国は盛り返したが、赤で示した日本の論文数は停滞したままである。
大学教員の数は増えているので、これは一人が各論分数が減っていることに他ならない。
加えて学部別のグラフから、(医学部を除く)理系学部からの論文数の停滞によるものだと分かっている。
  。oO○((医学部を抜いたのは、大学での研究職員の急増が顕著すぎたからかと推測する)


嘆かわしいことだが、言いたいのはそれではない。



論文執筆などを邪魔するもののひとつとして、
最近、とみに会議が増えた。
①研究所なら、各研究者が機能的に対処して研究だけ進めてね。学生いるなら教育もね―― だった組織運営が
②研究所全体の方針や所轄官庁からのミッションを会議を通して伝達するタイプ―――に変わったからだ。

研究者が個人能力を高めて①を磨けば、海外や他(所轄官庁以外)の資金をもぎ取って来るのはできるが
国から所轄官庁を通して落ちてくる安定的な資金は(どの大学・研究所も同様だろうが)激減している。
(たとえてみれば前者が歩合制で、後者が固定給みたいなものだろうか)
歩合制と固定給の総和としてあまり変わらなかったから、気になっていなかったのか、
固定給が減ってきていたから歩合制のほうでがんばったのか、ますます固定給が減って、
歩合制で頑張るのが限界になったので、固定給をあげることに舵を切り替えたのかもしれない。
その結果がこの会議の多さだ。 

役人は会議が好きで、役人にアピールするためにも会議が必要なようだ。



話はまた変わって、お友達人事という表現がある。
某ABE政権は、お友達内閣と揶揄されていたが、
要はトップが自分の友人や気に入った人だけを引き上げ、自分の周りの要職を固める人事だ。

このような人事がうまくいく場合もあるとは思う。
会議で物事がすんなり決まり、トップの主張がお友達相手にそのまま通る。
結果的にはワンマン経営でも、議会を通した形になり、不足部分が強化されたりもする。

が、お友達がすべて優秀な人ならばいいのだが、そうとばかりは限らない。
過去に優秀だったからと言って、時代に合わなくなってしまう人もいるし
偉い人とお友達になるためにイエスマン(何でも肯定する人)になって近づかれる場合だってある。
友達人事がやりたかったら、優秀でない人とは友達をやめるくらいでなければ危険でしょうがない。

が、切り捨てる様子など見せれば、周囲のスタッフはなおさら警戒し、反対意見を言わなくなる。
結局はトップの悪いところがそのまま通ってしまう完全ワンマン経営と変わらなくなって、
せっかく回りにそろえたお友達スタッフが機能しなくなる。
会議で審議がさくさく進んだところで、それは物事が解決に向かっているからではない。

つまり遅かれ早かれ、お友達人事は破綻をきたす、と言うことだ。


ただ、お友達がいないと言うのも運営に支障がありそうな気がするので、
少しは、将来、自分の周りにいてほしいお友達をキープしておく必要もあると思うのだ。

さて、人数は制限するとして、それではどういうお友達なら望まれるのだろう?
優秀であることはもちろん、反対意見もいえること、トップとは違う分野の知識を持っていること、
そして反対意見だろうと苦言しようと、排除されない信頼関係を持っていることだ。
                    (もちろん、排除されないだけの意見の価値を持つというのもあると思うが)
それにはたぶん、長い付き合いとか、偉くなる前からの友人関係などが必要になるんじゃないかと思う。

そのためには早くから、なるべく早くから上のポジジョンにつくべきなんじゃないかと思う。
研究者だと、現場のほうが楽しいことも多いだろう。
学会や大学運営になどかかわらずに、細胞や電子回路を向き合っていた方が幸せな人も多いだろう。
                     (そもそも、↑そういう人が研究者になっているのだと思うし)

だが、何かで大抜擢されて若いうちに役をもらうと、その場にいる人たちと付き合わざるを得なくなる。
接しなければ友達にもならないことを考えれば、その場の人と親しくなれるチャンスでもある。
その場で自分と同世代の人がいたりすれば、悩みや困惑も皮肉でなく共有できることも多いだろう。
外部から見たら、「何贅沢な悩みを言ってるんだよっ」 と思われてしまう問題でも、
同じ立場の人ならば、何が虚栄で、何が本音なのか、分かり合えること請け合いだ。


大教授の七光り研究員だからこそ、失敗できない。 

親が有名大学教授だからこそ、失敗できない。

お試し風に抜擢された女性委員からこそ、失敗できない。

若いからこそ、失敗できない。

                  でも、失敗しちゃうこともあるんだけどね。


そのときに一緒にしかられたり、同情しあったり、あるいは喧嘩した相手は、
その関係性がずっと後まで続くような気がする。
だからさ。

あなたが大学の学長になることがあったら、きっと若い頃からの友達が、あなたを助けてくれると思う。
お友達人事をしてもしなくても、信頼できるブレインは必要で、そのブレインを見極められると思う。

嫉妬にさらされたり、急に近づいてくる人がいたりして人間不信になるのも分からなくはないけれど、
早いうちから、苦悩を共有し、力の貸し借りができる知り合いを増やし、
できればそういう人たちと友達になって―――

今後、ちゃんとした大学教授に、
                       あわよくば学長にまでなってください。

と言うわけで、
後半はここを読んでいるといっていた年下の友人へのメッセージとして書きました。
その都合で全公開にしていますが、タイミングを見て限定にします。