ブログ引越し検討中 (仮住まい)

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臨界点

このところ出張が続いて、自宅でもかなり遅くまで仕事をする羽目になっていて、
週末も休まないことが多かったから、
体力的に限界に来てるかなあ、という危機感と、たまりにたまった代休を消化するためもあって、
昨日は一日、
通院 & 自宅でのんびり(仕事もちょっと)、をしていた。

で、その分、本日は、
ある場所で会議、昼食を兼ねて某イベントの反省会、午後は別の会議…… のハズだったのだが、
一番初めの会議の後に、立ち上がろうとしたところで――

倒れた。


幸い、同じ会議に義父と呼べるくらい親しい教授 (学位審査の時の主査) がいたので
病院に担ぎ込まれ、救急扱いで診察を受けた。
もともと、(前日に) 診察を受け、投薬されていたことと、
CTや血液検査で異常が見られなかったことから、点滴だけで退院。

夫とチビに付き添われて、とにかく家でも寝かされて、今に至ります。



メールチェックしたら、仕事メールが山ほど来てやんの.... orz

  #昨日休んだのと、午後の会議は連絡は入れたものの、
  #休んだ理由は知られていないので仕方ないかも。

教授からも、(夫から大したことがないと伝わっていたらしいが) 私にメールが来ていた。


イメージ 1


D3(博士後期課程の3年生)で倒れた時にもずいぶん迷惑をかけた。

通常は修士過程の2年間と博士課程の3年間、計5年間で博士号を取るところ、
なまじ実験などがうまく行っていたおかげで、夏あたりに繰り上げて博士号を取得して、
9月に就職 (←海外のポジションは、9月に始まるところも多い)を決めてしまおうと、
無茶をしたのだ。
母校が小さな私立大学だったから、他の帝大連中を抜きたいという意識があったのかもしれない。
研究内容が彼らに劣っていたとは思わなかったし、
自分のいた研究室はどこにも負けていないと信じていた。

今は、それぞれの研究室のアイデンティティが、広い研究分野や、研究結果を生み出しているのがわかるが、
当時は優劣をつけられることにばかり慣れていたから、そうは思えなかった。
結局、過労という診断で、20日以上入院して、博士号は博士課程満期修了時の翌年3月までお預けになった。

若かったと言えば、若かったのだろうか。


病院で、夫と付き添いを代わる時に、教授に 「このパターン多いな」 と、笑われた。

いい加減な仕事をしたら、容赦なく叱られる。
かといって、無茶をしても叱られる。

学位は次元を落とした系で、3次元と平衡状態にある吸着系の相図を実験的に決めることだった。
低次元の系に置いても、物質の三態(三以上のことも多い)や、共存状態、三重点、臨界点は存在する。

私は自分の臨界点に気付かなかったと言うことなのだろうか?



倒れたとき、会議の女性参加者が、私に付き添って病院に行こうと言ってくれていた。
その女性ともそれなりに親しかったから、その言葉も嬉しかったのだが、
議長席近くにいた教授がやってきて、「私が連れて行きます」と、引き受けてくれる声がした。
他の知り合いたちも、会議の間から顔色が悪かったなどと、教授に伝えていて、
症状を見ていてくれたのがわかった(聞こえた)。

ほっとしたのか、そのあと少しの間、記憶がない。

  
教授が来てくれてありがたいけれど、いつになっても、と思われてると思うと、
少々情けない.....です。


写真は母校。
この写真でわかったら、同窓か、近場の大学の方でしょうね (^_^)