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なぜ、子どもを叱るのか考えてみた

私は息子に甘い。
朝、彼が眠そうにしていて、自分も午後からの仕事の日などは、
「このまま、一緒にコロコロしていようかなあ」、と、思う。 
最近は寒いから、特にそんなことを考える。
 
おかしなもので、「○○くん、学校行かせたくないなあ」 と言って、頭をなでたり、抱きしめたりしていると、
「遅刻しちゃうから」 と、息子の方が、出かける準備を始める。
「えーーー」 と言うと、大人ぶって喜ぶので、私はわざと残念そうにする。
 
                                   
 
そんな私でも、宿題をやりなさい、勉強をしなさい、自分のおもちゃを片付けなさい、と、彼を叱る事がある。
片付けさせるのは、こっちの掃除の手間を省くためだとしても、
いわゆる “学校の勉強” が出来ようが出来まいが、今の社会では、あまり関係なさそうな気もする。
宿題も、やってもやらなくてもさしさわりないようなものしか出されていないし、学校でチェックもしないようだ。
子どもの成績を自慢しあうママ友もいないから、学校から貰う成績表(「あゆみ」という)も、流し見ているだけ。
 
 それなりの大学を出ても、大学で学んだことが就職後に反映されることは少ないし、
 まして、大学を出たからと言って、良い就職先が見つかるような甘い時代でもない。
 むしろ、なんで国語や算数や、やらせているのかな、と自問自答したりしてしまう。
 それでも、やらないよりやったほうがいいから、世間一般に、親は子供に勉強させてるんだろうけどさ。
 
 自分が昔持っていたような、勉強(正確には知識を集める事)に対するモティベーションを、
 私の子どもたちは持っていないように思う。
 やる気のない者、その道に適していない者に、無理に強制してもなあ、と、大学教育をしていて思う。
             (もしかしたら、初等教育は違うのかもしれないが、私はあまり区別がつけられない。
                  中学受験をした娘からは 「私は大学生じゃないんだよ?」 と、何度か言われた)
 モティベーションが見つかるまで、ダラダラしていてもいいような気がしてしまう。
 
 
                                        
 
 
お抹茶BOYは、怖い夢を見る。
隕石が降ってきて、自分の一族が死んでしまったり、自分が取り残されたり。
 
「大丈夫だよ、あなたのことは、パパやママが守ってあげるから」
 
 「でも、ティラノサウルスが来たら?」 ←この時点で、彼&パパ、ママはトリケラトプスの設定
 
「パパやママが、戦ってくいとめている間に、あなたは逃げなさい」
 
 「でも (・・・・・・ティラノと戦ったら、ママは死んじゃう)」
 
「一人でも餌が取れるように、一人でも安全に眠れる場所を見つけられるように、
 動物は、お母さんと一緒にいるときに教えてもらうんだよ。
         だって、お母さんもお父さんも、どんなに強くても、子どもより先に死んじゃうんだから」
 
                                       
 
 
親が子供にあれこれ教えるのは、子どもがひとりで生きていけるようにするためかな、と、
当たり前のことを、漠然と考える。
政治や、社会を良くしたいのだってそうだろうし、
原発反対を唱える人も、自分がいなくなった後の事故を思うのかもしれない。
 
子どもたちはずっと保護下に置いておきたいし、ずっと愛でていたい。
でも、自分が保護してやれなくなった時に、誰にも可愛がられない子どもだったら困るし、
衣食住が成り立たないほど、何も出来なくては困る。
何から何まで手を貸してやりたいけれど、彼が自分で出来るようにしてやらないと、
私が手を貸せなくなった時に、彼は困ってしまうだろう。
 
        「あなたの ため でしょ」 って、意外に深い言葉なんだよな……… 
                                          息子には言ったことがないけど。
 
 
                                       
 
 
自分の知識を、他人に教えたら、「自分の価値が下がる」、「自分が必要な人物でなくなる」、という考えのもとに
自分の知ったことを、会社の同僚には決して伝えない、というお国柄がある。
それじゃ、会社の発展が遅くなるよ、とは思うが、そういう考え方にも一理はあるような気もする。
 
ただし、その考え方は親が子に教えるものの、逆だ。
親は、大人は、自分がいなくなった後に、
子どもや生徒たちがどんな人間になっていたら彼らが楽に、、、言葉が悪かったら幸せに、でもいい、、
幸せに暮らせるかを考えて、あれこれ教えているのだろう。
自分が必要でなくなることを望んで、自分の知識を伝えていくのだろう。
 
                    で、多分、必要でなくなるのは、心のどこかで悲しいので、
                    いつまでも子どもを心配してしまうのではないか、と、想像する。
 
 
小学校で教えられる勉強は、将来役に立つのかな?
うん、基本的には、役に立つんだろうな。 
少なくとも、成績がいい方が、この後の学校生活が、楽になるよ。
 
 
                 さっき、お抹茶と一緒に、細密画みたいな恐竜の塗り絵をした。
                 色の使い方、色鉛筆での塗り方、影の付け方……
                 彼は、どんどん覚えていく。 
                 将来役に立つかどうか分からない。
                 でも、すごく楽しかったらしい。 
                 上手く塗れたと思っているらしい。
                  
                 ファイルに挟んで、ランドセルに入れていた。
 
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               学研の塗り絵ブックの通りのプロセスで染めていくと、誰がやってもなかなかいい感じに完成するのだが、
彼は、動物や恐竜の背景を、輪郭に沿って少しだけ黄色に染めると、「嬉しそうに見えるよね」 と、発見した。
色鉛筆に影を染める色がない時、紫や深緑で代用する。補色を入れると暗くなる事も、そのうち気付くんじゃないかな。
そういう彼の絵画感性が、私は好きなんじゃないかと思う。仮に、自分の子供でなかったとしても。
 
 
それにしても、よく、眠ってるなあ………