悩むね(時間と情熱の問題だと思うが)
一人で、3人分も4人分も働く人が存在する。
学生だてらに、ポスドク(博士研究員)よりもはるかに理解力も思考力もある人がいる、もちろんパワーもある。
部下は優秀な人が欲しい、仕事仲間は、仕事のできる人を選びたい。当たり前のことだが、
たぶん不可能なんだろうな、年とともに、どんどん不可能になってきたんだろうなな、と知る。
かつて――――
私たちと同時期に中途採用(すでに大学教員だった)で採用された同僚が、
身の回りに大勢、真面目でもなく能力もなくほとんど仕事をしない人たち、を置いて、
彼らにできるほんのわずかなことを、煽てすかしてやらせていた。
誰でもできる簡単な仕事を作ってあげることも、社会としては必要なんだろうが、
ストレスたまるだろうな、めんどくさいだろうな、私はごめんだな、と、遠巻きに眺めていた。
あれから20年くらいたった。
仕事が増えれば増えるほど、部下一人ひとりを指導している時間がなくなる。
頼む仕事を厳選する時間もなくなってくる。
適任者が欲しくても、採用・解雇には時間と手間と、何よりも余計な経費がかかる。
能力は落ちても、少しだけでも仕事の足しになってくれれば、
その範囲でいいから働いてくる人が欲しい、と、思う。
性格のいい人より、仕事のできる人がいい、のはもちろん、
あまりにも能力がないのなら、性格は良くないほうがいい、とすら思う。 だって切り捨てにくくなるから。
なんだかなあ…… たぶん、時間をかけて、手取り足取り指導すれば、
彼だってもっと仕事ができるようになるんじゃないか、と思う。その可能性を考える。
某帝大を出て、プライドもそこそこ高いから、その気になれば仕事ができるんじゃないかな、とも、思う。
いや、思うだけで、これまで(40過ぎまで)あの状態なんだったら、できないのかもしれないが―――
40過ぎて30代のころの仕事でなくて、学歴にプライドのよりどころがあるって時点で、ダメかな。
時間掛けても無駄になるかもな。その時間、惜しいかも。 つい、そう思ってしまう。
期待はしない。
書類や研究データなど、最低限―――いや、「最低限に近いところ」 までやってもらえば、
「ありがとう」 と受け取って、自分で少し修正して使う。
学生相手なら指導するけど、職員は指導するのが面倒なんだよね、
彼らは何か言うと言い訳の山を返してくるし、不機嫌になるし。
面倒くさいので、「最低限に近いところ」 までの仕事貢献で我慢して、
この人はこの程度でいい、と、あきらめることが必要なんだろう。
………理屈はわかってるんだけど、そうしなければ立ち行かないのもわかってるんだけど、
なんか不本意なんだ。
学位は持ってないけれど、頭が切れて、実験プロセスを考えるのがうまくて、
マジシャン的に測定技術に長けているエンジニアさんがいたのだが、
彼女が某職場で、パワハラを受けて離職した、という話を聞いた。
その話を教えてくれたのが、上司におべっかを使うことが最優先で他の人に対しても人当たりはいいものの、
頭のキレもなく研究センスもないまま、某大学に正規採用されてしまった
―――という困ったちゃんだった。
(彼は研究に時間を費やさないので、学会の下請けなど雑用をお任せしている。
部下ではないし私よりも年上なので、「教育しなきゃ」というプレッシャーを感じずにすむ)
「僕もいろいろ庇ったんだけどねえ------」
ああ、そうですか。
考えないで、パッシブな仕事ばかりをしてくれる人を求めていたら、
彼女は使いにくいだろうなあ、というか、使いこなすのは大変かもしれないなあ、 なんてことを思った。
反対に、人当たりだけよくて、言われたことだけやってるあなたは上司のウケはよかったのかな。
そういえば、某所で、下司は上司の反対語、というコメントが横行した。
いや、ちょっと思い出しただけです。
学生だてらに、ポスドク(博士研究員)よりもはるかに理解力も思考力もある人がいる、もちろんパワーもある。
部下は優秀な人が欲しい、仕事仲間は、仕事のできる人を選びたい。当たり前のことだが、
たぶん不可能なんだろうな、年とともに、どんどん不可能になってきたんだろうなな、と知る。
かつて――――
私たちと同時期に中途採用(すでに大学教員だった)で採用された同僚が、
身の回りに大勢、真面目でもなく能力もなくほとんど仕事をしない人たち、を置いて、
彼らにできるほんのわずかなことを、煽てすかしてやらせていた。
誰でもできる簡単な仕事を作ってあげることも、社会としては必要なんだろうが、
ストレスたまるだろうな、めんどくさいだろうな、私はごめんだな、と、遠巻きに眺めていた。
あれから20年くらいたった。
仕事が増えれば増えるほど、部下一人ひとりを指導している時間がなくなる。
頼む仕事を厳選する時間もなくなってくる。
適任者が欲しくても、採用・解雇には時間と手間と、何よりも余計な経費がかかる。
能力は落ちても、少しだけでも仕事の足しになってくれれば、
その範囲でいいから働いてくる人が欲しい、と、思う。
性格のいい人より、仕事のできる人がいい、のはもちろん、
あまりにも能力がないのなら、性格は良くないほうがいい、とすら思う。 だって切り捨てにくくなるから。
なんだかなあ…… たぶん、時間をかけて、手取り足取り指導すれば、
彼だってもっと仕事ができるようになるんじゃないか、と思う。その可能性を考える。
某帝大を出て、プライドもそこそこ高いから、その気になれば仕事ができるんじゃないかな、とも、思う。
いや、思うだけで、これまで(40過ぎまで)あの状態なんだったら、できないのかもしれないが―――
40過ぎて30代のころの仕事でなくて、学歴にプライドのよりどころがあるって時点で、ダメかな。
時間掛けても無駄になるかもな。その時間、惜しいかも。 つい、そう思ってしまう。
期待はしない。
書類や研究データなど、最低限―――いや、「最低限に近いところ」 までやってもらえば、
「ありがとう」 と受け取って、自分で少し修正して使う。
学生相手なら指導するけど、職員は指導するのが面倒なんだよね、
彼らは何か言うと言い訳の山を返してくるし、不機嫌になるし。
面倒くさいので、「最低限に近いところ」 までの仕事貢献で我慢して、
この人はこの程度でいい、と、あきらめることが必要なんだろう。
………理屈はわかってるんだけど、そうしなければ立ち行かないのもわかってるんだけど、
なんか不本意なんだ。
学位は持ってないけれど、頭が切れて、実験プロセスを考えるのがうまくて、
マジシャン的に測定技術に長けているエンジニアさんがいたのだが、
彼女が某職場で、パワハラを受けて離職した、という話を聞いた。
その話を教えてくれたのが、上司におべっかを使うことが最優先で他の人に対しても人当たりはいいものの、
頭のキレもなく研究センスもないまま、某大学に正規採用されてしまった
―――という困ったちゃんだった。
(彼は研究に時間を費やさないので、学会の下請けなど雑用をお任せしている。
部下ではないし私よりも年上なので、「教育しなきゃ」というプレッシャーを感じずにすむ)
「僕もいろいろ庇ったんだけどねえ------」
ああ、そうですか。
考えないで、パッシブな仕事ばかりをしてくれる人を求めていたら、
彼女は使いにくいだろうなあ、というか、使いこなすのは大変かもしれないなあ、 なんてことを思った。
反対に、人当たりだけよくて、言われたことだけやってるあなたは上司のウケはよかったのかな。
そういえば、某所で、下司は上司の反対語、というコメントが横行した。
いや、ちょっと思い出しただけです。