『名探偵コナン』でも『コナン・ザ・グレイト』でもなく、映画鑑賞録でもないが
会社の知り合いが読んだら困るので、一応限定にしておく。
【迷宮だらけの名探偵】 (←オリジナルは「迷宮無しの名探偵」ね)
私は大方の同僚たちとは異なる私学の出身なので、彼らと比べると一般教養がない。
同僚たちは自分の専門以外の知識も、大学の単位をとって大学院の院試に合格する程度には持っていて、
だから、「ハイブリッド光触媒」だの、「アモントン則の破れ」だの、一言聞くと、
「ああ、○○先生の××年の発表の」と、話を続けることができる。
文系であるはずの係官ですら、
マスコミに対して 「物質の生成と消滅の過程におけるCP対称性の破れ」、とかなんとか、
当たり前にコメント対応しちゃうんだから(↑ちなみに、この間のノーベル賞のやつ)
そういうやつらと互角に渡り歩かなきゃならない苦悩をわかってほしい。
** 私は、記憶重視のセンター試験日本史で、25点取れなかった奴である **
ただ、最近ちょっとだけわかってきた。
奴らが持っている知識は、私が入試前に、「小林多喜二」と「蟹工船」を線で結んだり、
「祇園精舎の鐘の声」「平家物語」「鎌倉時代」と、セットで覚えたのとあまり変わらないのだ。
その覚え方で定期試験だけクリアした私が、どれだけ歴史音痴、地理音痴かは、誰もが知っている。
中身を理解し、納得して自分のものにし、いつでも引き出して使えるようにはなっていない。
だからこそ、いざ、同じ土俵で謎に向き合ったとき、私は彼らの記憶と知識に引けをとらずにすむ。
行き詰まった会議の時、私は何度かジャックポットを見つけ出して、窮地を救った。
ある時、議長が言った。
「よくそんなの思いつくなあ、いや、まるで名探偵コナン君だな」
「コ・・・・・・コナン君ですか」 (ガリレオでもホームズでもないのね)
アラフィフ女のコナン君はねーだろ、等いろいろ自主突っ込みもあったのだが、
前後してブロ友さんの一人に別話題で 「コナン君か貴女は」 といわれたことがあったから、
私の思考パターンが、ガリレオやホームズじゃなく、コナン君っぽいんだろう。
細かいことや難しい説明は抜きにして、答えと聞くと誰もが、「ああ、その手があったか」 というタイプの。
しかしながら、現実の私は名探偵と褒められたり、喜ばれたりはしない。
「おい、また何か思いつかないのか? さっさと考えてくれ(そのためにお前がいるんだ)」
嗚呼、これはもう、『コナン・ザ・スレイブ』 ですな。 (←オリジナルは『コナン・ザ・グレイト』ね。
シュワちゃんがサルの奴)
「毛利小五郎みたいなやつがいるんだよ」
コナン君は、GFの父親である毛利小五郎探偵を麻酔銃で眠らせ、
変声機を使って自分の推理を刑事たちに聞かせる。
そのおかげで、毛利小五郎は「眠りの小五郎」として、どんどん有名になっていく。
少し前の分野横断会議で、とある身近な先生が会場を沸かせる意見を述べた。
拍手の中で、私はちょっとだけ複雑だった。
だって、 「あ~それ、この間、私が言った(教えた)やつ~~」
コナンがいれば、毛利小五郎もいる、
他人の言葉をさも自分のもののようにうまく発言できる連中がいるのだ。
それこそ、中央官庁には毛利小五郎が山のようにいるのだ。
官僚制度っていうのは、そういうものなのかもしれないが、なんだかなあ、と思うことがあるのも確かだ。
が。
つい昨日、第三者に 「外部で(←件の小五郎氏)が、私のことを褒めまくっている」 と、聞いた。
小さなトラブルがあったときにも、私に害が及ばないように画策していた、ということも聞いた。
「いい上司に恵まれているようだねえ」
「速く考えろ」 「意見を出せ」 「もっといい案はないのか」 「明日の2時までっ」 「ええええぇぇ」
いつも部下の手柄は俺の手柄、みたいな顔をしているくせに、
憎いことやってくれるじゃないのよ。
そういえば、コナンが推理するのと同じくらい、小五郎は小学生のコナンを助けてたな。
なんて思ったりした。
「ところで小五郎さん、
いくら何でもこの宿題は多すぎませんか?」
【迷宮だらけの名探偵】 (←オリジナルは「迷宮無しの名探偵」ね)
私は大方の同僚たちとは異なる私学の出身なので、彼らと比べると一般教養がない。
同僚たちは自分の専門以外の知識も、大学の単位をとって大学院の院試に合格する程度には持っていて、
だから、「ハイブリッド光触媒」だの、「アモントン則の破れ」だの、一言聞くと、
「ああ、○○先生の××年の発表の」と、話を続けることができる。
文系であるはずの係官ですら、
マスコミに対して 「物質の生成と消滅の過程におけるCP対称性の破れ」、とかなんとか、
当たり前にコメント対応しちゃうんだから(↑ちなみに、この間のノーベル賞のやつ)
そういうやつらと互角に渡り歩かなきゃならない苦悩をわかってほしい。
** 私は、記憶重視のセンター試験日本史で、25点取れなかった奴である **
ただ、最近ちょっとだけわかってきた。
奴らが持っている知識は、私が入試前に、「小林多喜二」と「蟹工船」を線で結んだり、
「祇園精舎の鐘の声」「平家物語」「鎌倉時代」と、セットで覚えたのとあまり変わらないのだ。
その覚え方で定期試験だけクリアした私が、どれだけ歴史音痴、地理音痴かは、誰もが知っている。
中身を理解し、納得して自分のものにし、いつでも引き出して使えるようにはなっていない。
だからこそ、いざ、同じ土俵で謎に向き合ったとき、私は彼らの記憶と知識に引けをとらずにすむ。
行き詰まった会議の時、私は何度かジャックポットを見つけ出して、窮地を救った。
ある時、議長が言った。
「よくそんなの思いつくなあ、いや、まるで名探偵コナン君だな」
「コ・・・・・・コナン君ですか」 (ガリレオでもホームズでもないのね)
アラフィフ女のコナン君はねーだろ、等いろいろ自主突っ込みもあったのだが、
前後してブロ友さんの一人に別話題で 「コナン君か貴女は」 といわれたことがあったから、
私の思考パターンが、ガリレオやホームズじゃなく、コナン君っぽいんだろう。
細かいことや難しい説明は抜きにして、答えと聞くと誰もが、「ああ、その手があったか」 というタイプの。
しかしながら、現実の私は名探偵と褒められたり、喜ばれたりはしない。
「おい、また何か思いつかないのか? さっさと考えてくれ(そのためにお前がいるんだ)」
嗚呼、これはもう、『コナン・ザ・スレイブ』 ですな。 (←オリジナルは『コナン・ザ・グレイト』ね。
シュワちゃんがサルの奴)
「毛利小五郎みたいなやつがいるんだよ」
コナン君は、GFの父親である毛利小五郎探偵を麻酔銃で眠らせ、
変声機を使って自分の推理を刑事たちに聞かせる。
そのおかげで、毛利小五郎は「眠りの小五郎」として、どんどん有名になっていく。
少し前の分野横断会議で、とある身近な先生が会場を沸かせる意見を述べた。
拍手の中で、私はちょっとだけ複雑だった。
だって、 「あ~それ、この間、私が言った(教えた)やつ~~」
コナンがいれば、毛利小五郎もいる、
他人の言葉をさも自分のもののようにうまく発言できる連中がいるのだ。
それこそ、中央官庁には毛利小五郎が山のようにいるのだ。
官僚制度っていうのは、そういうものなのかもしれないが、なんだかなあ、と思うことがあるのも確かだ。
が。
つい昨日、第三者に 「外部で(←件の小五郎氏)が、私のことを褒めまくっている」 と、聞いた。
小さなトラブルがあったときにも、私に害が及ばないように画策していた、ということも聞いた。
「いい上司に恵まれているようだねえ」
「速く考えろ」 「意見を出せ」 「もっといい案はないのか」 「明日の2時までっ」 「ええええぇぇ」
いつも部下の手柄は俺の手柄、みたいな顔をしているくせに、
憎いことやってくれるじゃないのよ。
そういえば、コナンが推理するのと同じくらい、小五郎は小学生のコナンを助けてたな。
なんて思ったりした。
「ところで小五郎さん、
いくら何でもこの宿題は多すぎませんか?」