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ば~か~も~の~(裏) あるいは「母はランドセルを知らない」

ふたたび、剣士娘話。
続「ばかもの」なのか、裏「ばかもの」なのか微妙なところだが。

私は実母とそりが悪い。

母親の時代の女性(現在80くらいになる人たち)はすべてそうだと思うが、
女性が学問を学んで働くことと、男性に従うこととの折り合いがうまくついていなくて、
彼女ら自身の中で、ダブルスタンダード、トリプルスタンダードになっている。
だから、同性である娘に対しての言葉も揺らぐ。

おまけに、実母は金持ちの家のお嬢さんだったので(←今は没落)
我が強く、(ダブルスタンダードだから)芯が通っていないくせに、その時その時で意地を張る。
娘である私はたまったものではなかった。
特に日本の母娘は距離が近いものらしく、大学の頃にやたらに接近されるのが苦痛だった。
実母と私の趣味や好みはまあまあ似ていて、興味(話題)の対象がかぶることで会話になるので、
一時期はそれすらも嫌だった。

好みが似ていたり顔立ちが似ていたりしても、親と子では別の人格なのだ。

そんな実母に苦労した反動で、娘を別人格の他人として扱っていたら、
剣士はとても独立心の強い娘に成長した。
それでも、小学校の頃の娘の口癖は 「私は大学生じゃないんだよ?」 だったが。
まあ、あれこれ論陣を張るのはうちの子だ。

       **今はちょうど大学生だから、母親の接し方が一番心地よいのだそうだ。
       **下手をしたら、自分の指導教官よりも教授らしい、とのこと。
       **ええええと、私が一番よく接しているのは、大学院の理系男子学生ですが。


さて。
2年とちょっと前だと思う。
剣士は実家の大掃除を手伝うついでに、私が若いころに着ていた洋服の処分に付き合った。

彼女と私は根本的に骨格が違い、
皮下脂肪はつくものの肩幅が狭く骨の細い私に比べて、
彼女は父親譲りの肩幅や、強い骨を持っている。
残念ながら、母親から皮下脂肪のつきやすい体質も引き継いでいるので、
骨が太くて肉もつきやすい、
女の子としては少々気の毒な体型となっている。
その剣士が、その頃ちょうどバイトと大学剣道部のおかげで少しだけ痩せていた。

シェイプアップされて気が大きくなっていたのか、
私が20代はじめに着ていた、ワインレッドの上下セットを欲しいと言った。
本来ボディコンシャスなデザインなのだが、そのままでは気に入らなかったので肩パットを外してタックを入れて、
ボタン種まで変えた準オリジナルみたいな服だった。(そういうわけで、30年間も手元に残っていた。)

「これすごく好き~ 今はまだ入らないけど、持ち帰って着る」、という。

捨てるために出したのだと伝えた(ボタンだけ取り外そうと思っていた)が、
(購入時に高かっただけあって)布がしっかりしているので、着れることは着れる、と思う。
娘のわけのわからない着こなしの一部にするにはいいだろう、と、譲ったまま忘れていた。


先日、救急車で運ばれた翌日、ぽろっと一言。
「もうちょっとであの服、着れるとこだったのに」

       「は??」

 「ダイエットしたから、もう少しでママからもらった服、着れそうだった」

寝る間を惜しんでバイトして遊んで、ダイエットもしてただと?
そんなの倒れて当たり前だろ、 それで救急車で病院連れていかれる、って
                 「ば~か~も~の~!!!」

        「スーツも服も必要なら買ってあげてるでしょ! 馬鹿なことはやめなさい」

「あの服がいい、あれを綺麗に着れるのを目指してダイエットしてるから」

        「ダイエットで倒れるなんて、救急車にも医療関係者にも迷惑だよ!」

「うん、反省してる、今度は倒れない程度にコントロールする」     「だから、やめろって」

家に非常食(パックのお米や缶詰)ばかりで、食材がなかったのは、
あると食べちゃうからだったんだそうだ。   
                 ……その割に爆食いしてなかったか?



彼女が時々、私の服や私のアクセサリーに執着するのには気づいている。
たぶん着物が好きで、時々着るのもそのひとつなんだと思う。

小学校高学年で、多分に漏れず反抗期となり、
当時彼女がとても懐いていた公文教室の先生()に相談したとき、

「距離をとろうとする母親に、振り向いてほしくてたまらないのだ」、と、聞いた。

      「娘は母親よりも、父親に懐いていると思う」、と伝えた私に、

「わかりにくいかもしれないけど、子供なりに母親にアピールしている」とのことだった。

当時はわからなかった。
わからないなりに、私立の中学校に合格して、剣道を始めたことで、彼女の反抗期は終わりを告げた。
「お母さんが変わったのではなく、ちゃんが変わったのよ」 と、先生には言われた。

当時私は、心臓発作を繰り返すお抹茶にかかりきりだったと思う。
女親は男の子がかわいいものだとは聞いていたが、
病弱で理屈っぽくて、すぐ楽なことをしようとするずるい部分が、自分そっくりで、
おまけに彼は連れ歩いても大人と接するがうまいので、学会などにも連れて回った

剣士も誘わないではなかったが、
「部活は休めない」 「試合があるから自主練する」などと、ついてこなかった。
反抗期が終わって、すでに自分の世界に入っているのだろう、とみなして、
私からはちょっかいを出さないようにしていた。
自分の母にこうあって欲しいという姿を、娘に対してしているつもりだった。

そうそう、“ランドセルを知らない”は大げさだが、母親が小学校グッズを知らないので、
小学校時代の彼女は苦労をしたようだ。 
鍵盤ハーモニカや木琴が何たるかを、同時の私は知らなかった。
童謡も知らなかったし、童話(昔話)も、【日本昔話】くらいしか入手経路がなかったから、
桃太郎が、河童を連れて鬼が島に行ったと勘違いしていた。
そんな母親の娘だから、学校からの連絡も、友達とのやり取りも、は自分で対応していたようだ。

         *河童は海水だと死んでしまう、と、保育園で話を覚えてきた娘に言われたが、
         *そういう問題かどうかは、よくわからない。
         *当時の彼女的には海で捕まえたハゼと、おたまじゃくしの淡水の違いと同じだったんだと思う。


剣士娘の私への……つまり母親への執着に気づいたのは、5年位前だ。
彼女がとても気に入っている剣道の手ぬぐいがあって、破れても当て布をして使っていたが、

そのときは、「もらい物の手ぬぐいだから、大事なんだ」、と聞いた。

「ふうん」、と思って、でも、そこまで大事なのなら、と、ブックカバーを作ってやったのだが……
ブックカバーを使いはじめてしばらくして、

「ママに買って貰ったんだよ、これ。剣道始めた頃に」

      「ほあ?   」 ←まったく記憶がない。  
 
「うん、ママはすぐに忘れたみたいだけど」


服でも靴でも、当時の彼女にとっては親が購入するのが当たり前なのに、なぜ―――
いや、働く母親なりに、大事に育てたつもりだが、距離をとりすぎていたのか。
公文の先生の言うように、彼女としてもは物足りなくて、もっとベタベタしたかったのか。


彼女は手ぬぐいで作ったブックカバーを、相変わらず使っている。

母親の服や、母親の贈り物を(母親が思っている以上に)大切にしている彼女が、なんだか切ない。

……でも、骨格が違うんだから、無茶なダイエットはやめなさいね。