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危機管理能力と教育上の綺麗ごとと

範囲の広いタイトルで、収拾がつくかどうかわからないが、
まず、さりげない疑問をいくつか。

 A・親しい人と、お金の貸し借りをしないのは、相手が返さないと疑っているからだろうか?

 B・家に鍵をかけるのは、近所に泥棒がいると疑っているからだろうか?

 C・落し物が出てこなかったら、自分が悪いと思う? 誰かが盗んだと思う?

 D・テストの回答や物事を間違うのは、間違っただけなのだから悪くない?


子供がいると、よく考えさせられることがある。

禁煙区間で堂々と喫煙するお爺さんや、信号無視する親子や、
列に割り込みをかけるおばさんたちや、本来の仕事をしない教師や、約束を守らない友達や.....

世の中には、そういう矛盾や違反が溢れている。
我々、親や大人にしても、すべて守れているわけではない。それはよく分かっている。

 その結果、自分が守れないことの罪悪感を消すために、みんなやってることだ、とか、
 そんなに悪いことじゃないんだと、子供に説明・指導してしまう親や教師がいる。
 最近は、そういう人たちがかなり多いように見受けられる。

こういう指導にも、利点がないわけじゃない。

 人は裏切るものだと教えておけば、
 子供は裏切られた時に、そういうものなんだろうな、
 と、大して傷つかずに済むだろう。 *1

 信号は無視するものだと聞いていれば、
 信号無視の車が突っ込んでこないかどうか、
 警戒するようにもなるだろう。 *2

 ただ、負の効果として、そう教えられた子供が、
 人を裏切ってもよいと思うようになる。 *3
 
 信号を無視しても、いいと思うようになる。 *4
 
この中で、*3、*4は明らかにまずくて、*2は、生かしたい(笑) ← この辺の意見は割れないと思うw
さて、*1はどうだろう?
 
 私見だが、*1に関して、子供だって裏切られたら、傷ついてほしい、と思う。
 だからこの件に関しては自分のことを棚に上げてでも、綺麗ごとを教えていたいと思っている。
 自分はできないけれど、これは正しくないのだ、という教育方だってアリだと思う。

 教師は信頼されなければならない立場だから、自分も間違ったことをしてはいけない。
 だから、自分の過ちも正当化する、という、一部の教師の行動は、本末転倒も甚だしい。
 そんなに強く間違ったことをしてはいけないと考えているなら、決して間違うな、と思う。

 子供が傷ついて自殺したり、歪んだりしたらどうするの!? という意見もあるようだが、
 確率論的にどっちの可能性が高いか、考えてほしいと思う。

間違うというキーワードが出てきたので、
冒頭のDの
   「テストの回答や物事を間違うのは、間違っただけなのだから悪くない?」
                                       を考えてみる。

最近の小学校や、小学校の父兄は、「間違うことは悪くない、だから直しましょう」と教える。
その結果、子供が何か失敗したときに叱ると、「間違っただけじゃないか!」 と反発する。
要は本来あるべき「だから直しましょう」=「直さなくてはいけない」が、消えてしまっているのだが、
そっちを教えきれないことを無視してでも、「間違うことは悪くない」に固執する。
これはかなりの問題ではないのだろうか?

  子どもたちは、間違ったことに対して、反省もしなくなってしまっているのだ。

おまけにかなりの数の教師も父兄も、「間違うことは悪くない」 と心から信じているようで、
悪いという意見には (それが前世紀の考え方とでも言わんばかりに) 耳を貸さない。

私は彼らと議論することはやめてしまった。

……たいていの子供が小学生の時のままの理解のまま、大学まで来ちゃうことを分かっているのかな?

商品を買ったときに、釣銭を間違われたり、病院で誤診されたりしたときに、
  「間違っただけだから悪くない」と言われたら、あんた達だって腹立つと思うんだけどな。

教師やその手の父兄友達には、
  「そんな事を言ったって、あなただって間違うことはあるでしょう?」と、切り返されるが
     自分が間違ったときは、自分が悪いんだよ(苦笑)
       誰でも常に「自分は悪くないとしたい」に違いない、って、考え方が間違いなんだよ。


そういう小学校教育にどっぷりつかってしまった娘には、仕方ないのでとりあえず、
「間違っても悪くはないと思っててもいいけど、間違うと中学には受からないよ」
と、指導している。
固まってしまった考え方を変えさせるのは、かなり時間がかかりそうだ。

ひとまず綺麗ごとを教えて、自分で傷ついてもらって、
その結果の危機管理や、自分の精神保護ができるようになってくれればいいと思う。
そのための、助言や手助けはしたいと思うが、
人間とは....、社会とは.... この程度綺麗で、この程度汚い、という判断は自分でやってほしいと思う。


しかし.........

日本人(東洋人?)って、どうしてこう自分のミスを認めたがらないのかな。
米国人が、ミスを認めないのとはわけが違う。
    (米国人は、ミスはミスで分かってるんだけど、ミスが分かってるからこそ、
     そのミスを正当化するようなネタを次々考えて防衛しているように思う)
大した居住経験もないくせに、国別傾向を見ることこそ、先入観の発現だとも思うが、
それに、一方的にどちらかを持ち上げる気もサラサラないのだが、

  キリスト教教育を受けていると「人間はこうあるべき」である道徳規範みたいなのが頭に入っていて、
  「それを守れない愚かな自分」にも慣れてくる。
  だから、そのうえで、
         「守れない愚かな自分」を反省したり、正当化したりするようになる。

日本の子供たちには「人間はこうあるべき」という、道徳規範が入っていないのではないかと思うことがある。
なぜなら、日本の大人に、「守れない愚かな自分」という認識がないからだ。
しいて大人の意見を解釈すれば、
  「人間は守れないものなので、だから自分は愚かではない、そのためには道徳規範はこの程度」
                                          という論理だ。

まずいんだよ、それじゃあまずいんだよ......
綺麗な世の中じゃないからって、綺麗ごとをと教えることを拒否したら、
どんどん罪悪感がなくなってネガティブスパイラルに陥って、悪くなる一方なんだよ。

 ちらっと俗っぽい意見w
  ・浮気してる人って「みんな浮気くらいやってる」って云うよねw
  ・女性と接するチャンスが少ない人に限って、少ない経験をもとに「女なんて○○なもの」って纏めるよねw
  ・ちょっと文化が違うものに対して「日本では」とか「主婦業とは」とかって、
        自分を大勢側につけて正当化しつつ、相手を批判するよね。たとえ隣町では違ったとしてもw
  ・みんなで渡ったって赤信号を渡るのは悪いし、怖くなくたって、危険は危険。

立ち位置が狭いと、転んだ時に転げ落ちるよww 
           自分を無理に正当化するのはやめよう。

教育の基本は、そこからだと思う。

         ………まとまらんな~(苦笑)  後でタイトル変えるかも。


おまけの刃物画像。
2歳3歳くらいから刃物を使わせるのは、危険だという意見もあるが、ナイフはコントロールすべき道具の一つだ。
遠ざけるものではなく、危険を知った上で使いこなすものだと思う。
洋食の時は、子供用のカトラリーを使って食事させてます。(右が姉用のヘンケル、左が弟用のWMFです)

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PS ま~ ちなみに、キリスト教教育を受けてても、反省云々にはかなり問題があって、
  私が大切にしていた玩具を友達が壊し、その晩メッチャ反省、翌日教会に行って懺悔したらしく、
  私が気付いた時には「神様はお許しになりました」状態だったので、

     …………「神は許しても、私は許さねえ」 とばかり、大喧嘩しましたとも(笑)