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読書録 『牙のある時間』 ただし75パーセント

佐々木譲 『牙のある時間』 ハルキ文庫  75パーセント読了
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タクシー用小銭のための、両替文庫の一冊だったのだが~

実はホラーものが好きである。キングも、マキャモンも、小林泰三もいい。
裏表紙を読むと、解説は若竹ななみで、
エロティックな狼男ものらしかったので、ひょいっと購入。

・・・・・・・・・・・・・・・・・う~ん(^^; これはいかがなものか?

いったいどういう読者層を想定して書かれているのだろう?
ありていにまとめれば、野生動物がオスを中心にファミリーを作ることになぞるように、
二組の夫婦が夫婦交換に走るお話で、
前半は女性主格の一人称記述で、後半はその夫が主格の一人称記述で書かれている。
同じ事柄を、二人の視点で描くのは、まあ、よくあるパターンだし、それの面白さはちゃんと味わえる。

しかし、しかし、ど~よ。キャラクターたち、ぜんっぜん魅力ないぞ?
いっそジュブナイル平井和正の狼男シリーズみたいな、パワーや勢いに走ればいいのだけど、
この作品の登場人物たちを列挙してみると、

・奔放なのはいいけど、美人じゃないし、「結婚は相手の収入と安定よっ」 みたいな考えを実践していく女性と、
・美人でスタイルが良くて教養はあるけど、どう考えても趣味やらファッションやら 「おばさん的な」 女性と、
・芸術家タイプではあるけど、描く絵画ほど内面が跳んでいるわけでもなく、「いつも受け身」 な男性と、
・金持ちで精力的で強引と設定されてはいるものの、「具体的なエピソードがない」 ...狼のボス的男性

エロ小説として、男性向けに書かれているのだとしたら、女性二人が中途半端というか、魅力に欠ける。
女性向けだとしたら、男性のキャラクターもラブシーンの雰囲気も論外である。
平井和正や映画 『狼の血族』 のキャラクターの強烈さを期待していたりすると、なおさら迫力のなさが目立つ。
野生云々、狼云々と言いながら、社会的地位や金銭に守られなければならないのも、皮肉な印象が残る。

極めつけは中途半端な科学考証的設定だ。
幼少期に、野生の狼にかまれて、狼化ですか......... orz
たんぱく質異常ってなんです......... orz

正直に言います、半分を読んだところでやめようと思い、ある理由でもう少し読みすすみましたが、
冒頭で結論も見えていることだし、と、約75パーセントで読むのをやめました。

と、言うわけで、読み終わったわけではないので、残りの25パーセントが傑作かもしれません。


・・・・・・・・・・・・・・こき下ろすばかりでも何なので、他の作者と比較してすごいと思った点を少々。

日本語は、叙述トリックに適した言語だと思う。
それほど大量に英文で小説を読んでいるわけでもないのだが、我が愛するギャビン=ライアルなどでも、
シーンが変わると同時に一人称としている登場人物が変わるとき、混乱をきたしたりする。
日本語は、その点、気楽である。 
「私」で記述していた主人公が、「俺」「僕」になった途端に、
あ~ 別の人の視点で書いてあるんだな、と、想像できる。
逆に言うと、それがトリックの一つとして使えたりもするのだと思うが、
簡単なだけに、安易に走って、「私」 を 「俺」 に変え、文の語尾を少し乱暴にしただけただけで、
着眼点も知的レベルも全く変えぬまま、別人視点になったんだよ~ とばかりに押し付けてくる小説がある。

 #次々主格が変わる小説を乱発しているのは、赤川次郎が代表だと思う。
 #しかし、三毛猫ホームズなど、キャラが立っているものならまだいいが、
 #たいていは、どのキャラクターも同じようなものの見方、感じ方、ふざけ方をするので、
 #英訳したら誰が誰だかまったくわからなくなる口だと思っている。

「牙のある時間」 に関しては、その転換だけは見事だ。
前半の主格久美から、後半、夫の守谷に主格が変わると、
描かれている風景が、いきなり “画家” の視点になる。
知識レベルも考え方も、目に入るもの、触れるものすべてに関しての感覚が変わる。
これは読んでいて非常に面白かった。

これだけ極端&端的に変えることができるのなら、
次々と主格の変わる小説も、イケるのではないだろうか?


さて、トップ画像は・・・・・・・・・・・・・・・・狼と言ったら、やっぱこれだよねっ

.....................って、明日、朝早いのに、何をしているのだ、私は