(出雲) 須佐神社 & 天照社 (11月2日)
すぐ向かい側に、鳥居同士を向かい合わせるようにして、天照社がある。
こっちは、いったいどうしたんだというくらい寂れている。
ホームページや記事も少ないようだ。
とはいえ、鹿を模したレリーフのある燈篭があったり、神殿の形も、須佐神社に引けを取らない。
こっちは、いったいどうしたんだというくらい寂れている。
ホームページや記事も少ないようだ。
とはいえ、鹿を模したレリーフのある燈篭があったり、神殿の形も、須佐神社に引けを取らない。
さて、本殿の右手に、小さな御社状のものがあるのだが........
出雲大好き知人に、ぜひ見て来いと言われたもので、鏡餅のような形の蛇の石像がある。
クモの巣は張っているし、非常に小さいのでわかりにくいのだが、
とぐろを巻いた龍が一体、その横に、三体の (多分) 蛇の像がある。
出雲大好き知人に、ぜひ見て来いと言われたもので、鏡餅のような形の蛇の石像がある。
クモの巣は張っているし、非常に小さいのでわかりにくいのだが、
とぐろを巻いた龍が一体、その横に、三体の (多分) 蛇の像がある。
たぶんというのは、二匹は頭がとられてしまっているからだ。
なかなか愛らしい顔をしている。
エジプトやギリシャじゃあるまいし、日本には蛇神信仰はなかったと思っていたのだが..........
出雲にいるのは市民権 (?) を剥奪 (?) された古い神々のはずだから
なんでもありなのかもしれない。
蛇はいかにもアニミズムっぽいが、八百万もいれば、どういう神様だっているだろうし。
出雲にいるのは市民権 (?) を剥奪 (?) された古い神々のはずだから
なんでもありなのかもしれない。
蛇はいかにもアニミズムっぽいが、八百万もいれば、どういう神様だっているだろうし。
乱暴かな(笑)
帰り道、娘が道端で蛇を見つけた。
小さな蛇を3匹。 「像の数と同じだね、同じ大きさだね、顔似てたね」
顔はなかったはずなのだが...........(笑)
彼女は小さな蛇像に、妙に好意的だった。
小さな蛇を3匹。 「像の数と同じだね、同じ大きさだね、顔似てたね」
顔はなかったはずなのだが...........(笑)
彼女は小さな蛇像に、妙に好意的だった。
須佐神社に来て、なんとなく、数日前から感じている違和感に思い当たったような気がする。
『もののけ姫』 や 『千と千尋の神隠し』 を見るまでもなく、出雲の神様たちは動物 (生き物) 的だ。
関東の〇〇神社や、護国寺、天神さんなどと比べて、生き物らしい…… というか生々しいというか。
ギリシャ神話の神様に近いとは言わないけれど、聖もあれば邪もあるような気がする。
関東の〇〇神社や、護国寺、天神さんなどと比べて、生き物らしい…… というか生々しいというか。
ギリシャ神話の神様に近いとは言わないけれど、聖もあれば邪もあるような気がする。
つまり、遠方のお江戸の人(笑)が勝手に見たイメージだと、
出雲の神社は、“世界に広がる邪悪なものを退治してもらうから神様を崇める” ためのものではなくて、
“邪でもある神様自体を封じる” あるいは “宥める為” に建てられたと言う気がしてしまう。
出雲の神社は、“世界に広がる邪悪なものを退治してもらうから神様を崇める” ためのものではなくて、
“邪でもある神様自体を封じる” あるいは “宥める為” に建てられたと言う気がしてしまう。
まあ、出雲ばかりではないが、
日本の神社や寺では、ご神体を粗末にすると、罰が当たる (ということになっている)。
“よくわからないけれど、力の強いもの” を祀っている、
“人間に対して何をするかわからない生き物が怖い” から祀っている(封じている)。
日本の神社や寺では、ご神体を粗末にすると、罰が当たる (ということになっている)。
“よくわからないけれど、力の強いもの” を祀っている、
“人間に対して何をするかわからない生き物が怖い” から祀っている(封じている)。
出雲の神社は古い分、その 「怖さ」 や 「わからなさ」 がディープなんだと思う。
西洋の街に散らばってる教会とは、その辺が明らかに違う。
で......... そういうわけで、出雲の神様は本来、生々しくて怖い存在なのだが、
その神様がたちが、普通に関東の神社みたいに、
縁結びだの学業成就だの家内安全だのと祈られてるのが、なあんとなく変な気がしたのだ。
その神様がたちが、普通に関東の神社みたいに、
縁結びだの学業成就だの家内安全だのと祈られてるのが、なあんとなく変な気がしたのだ。
結婚式を何組かと、七五三の子どもたちを見かけた。
なんだかとても ......平和だなあ~~
なんだかとても ......平和だなあ~~
(というわけで、これは11月2日の記事、その1です)