(出雲) 菅谷たたら (11月2日)
すごいね、感動的な光景。 タイムスリップしたみたいだ。
日本で唯一残っているという蹈鞴(たたら)場、菅谷たたらを訪問した。
日本で唯一残っているという蹈鞴(たたら)場、菅谷たたらを訪問した。
お写真も撮らせていただいたのだが、説明員のおじさんは元炭焼きをやっていたという人で、
三日前の我々のエクスカーションのことを、ここはじまって以来の大騒ぎだった、と話してくれた(笑)
外人さんが多くて、何台ものバスで、100人以上.... と。
ケーブルテレビが取材に来て放映されたそうだが、
込み合っていて、時間もなくて、とても細かいところまで説明できなかった、と
かわりに我々にディテールまで説明をしてくださった。
三日前の我々のエクスカーションのことを、ここはじまって以来の大騒ぎだった、と話してくれた(笑)
外人さんが多くて、何台ものバスで、100人以上.... と。
ケーブルテレビが取材に来て放映されたそうだが、
込み合っていて、時間もなくて、とても細かいところまで説明できなかった、と
かわりに我々にディテールまで説明をしてくださった。
たたらの炉、風を送るシステム、炉の周りを乾燥させるシステム、炎から柱を守るために塗られた土、
蹉跌の塊と、玉鋼のかけら、適度な大きさに砕くシステム、赤い川.........
すべて、最後に操業していた頃のままに保存されている。
蹉跌の塊と、玉鋼のかけら、適度な大きさに砕くシステム、赤い川.........
すべて、最後に操業していた頃のままに保存されている。
働いていた人たちの名簿があって、そこに説明員のおじさんの名前も連なっている。
家督性だということで、親の仕事を長男はそのまま継がなければいけなかった、と、
炭焼きの仕事は辛くて嫌で仕方なかったし、修学旅行も卒業式も行けなかった、と。
家督性だということで、親の仕事を長男はそのまま継がなければいけなかった、と、
炭焼きの仕事は辛くて嫌で仕方なかったし、修学旅行も卒業式も行けなかった、と。
それでも今は、三十数軒の集落の中で孫を入れて8人家族の我が家は
この集落でいちばん賑やかだ、と、嬉しそうに話す。
一人暮らしや、お年寄りの家も多いそうだ。
この集落でいちばん賑やかだ、と、嬉しそうに話す。
一人暮らしや、お年寄りの家も多いそうだ。
ここにも小さな神様が祀られていた。
禊をしてから、たたら場に入るとか、立場や仕事の種類によって、通る道まで決まっているとか、
昔のものがそのまま残っているというのは、すごいことだと思う。
たたらの博物館や展示館は出雲に多くあるようだが、ここに来てよかったと思う。
エクスカーションで菅谷たたらを選んだスタッフも偉いです(笑)
エクスカーションで菅谷たたらを選んだスタッフも偉いです(笑)