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着ぐるみを着た縫ぐるみを見て思うこと

そう言えば、11月の終わりに、街の写真館で七五三の写真を撮ってもらった。
人物写真を撮るのは、大変だなあ、と思う。
いくら写真の腕が確かでも、子どもが笑ってくれなければ微笑ましい写真は撮れない。

祖父の代から写真館だというカメラマンは、
まるで保母さんのようにに、子どもの心をとらえ、カメラに顔を向けさせ、笑わせた。

「こっち向いて~」 ではない。
カメラの上にぬいぐるみを置いて、注意をひくだけでもない。

縫いぐるみは初め、背を向けている。 「これは何かなあ~?」
「牛!」 子供が答える。
振り返った縫いぐるみは、牛の着ぐるみを着たキティちゃんだった。
「じゃあ、今度は何かなあ~」  「虎!」
当たれば子どもは喜び、外れればずるいと言って笑う。
途中、ぬいぐるみが一瞬振り返ったりするから、カメラマンの手元から目が離れない。

イメージ 1

うまいもんだなあ、と、感心した。
それは厳密には写真撮影の腕ではない。 
人物ポートレートを撮るには雑談の才能や保育士の才能が必要なのだ。

写真学校では、そういうテクニックを教えるのだろうか?



さて、情けないことに、先日、都内の某病院の救急にお世話になった。
ひどい頭痛と眩暈で、タクシーで病院に連れて行かれたものの、急患扱いで救命救急にまわされた。

血管が開いた時のような痛み。ニトロール舌下錠を舐めたときみたいな。
     .........この一言で、心臓チェックまで厳しくなった。
     狭心症など、10年以上前に完治してるつもりなのだが.......

脈、血圧、採血、最小限の問診と眼球や手足の動きのチェック、
CTスキャン、心電図、待ち時間に痛みどめの点滴をされる。
通常、採血結果その他の検査結果は、一週間近くかかるはずだと思うのだが、その場で結果が出てくる。

脳内に血溜まりなし、出血傾向なし...........脳溢血や、クモ膜下のチェックをさっさと進める。
「頭痛の原因はわからないけれど、今すぐに命の危険はなさそうですから、気長に治療してください」

・・・・・・・・・・・・う~ん(笑) なんてわかりやすいんだろう。

私が検査結果待ちで点滴している間にも、何度も救急車から連絡が入っていたから、
そして、ベッドがない、担当医がいない、などの応答も聞こえていたから、
どれだけ忙しい(混み合っていた)のかは分かっていた。
土曜の正午近くの60分間で、何台担架が運び込まれていただろうか。

私は、彼らは一般の医者とは違うと理解している。
時間内に、どれだけ多くの命を救うか、それだけなのだと思う。
極端な話をするなら、「命に別条がないのなら、痛みの原因はよそで探せばいい 」 という部局なのだろう。

風邪の症状は目立って出ていないが、
前日からリンパ腺が腫れたので (他の開業医から) 抗生剤をもらっていた。

病院から戻るタクシーの中で、急に熱が出てきた。
やっと風邪っぽくなってきた。



昨夜、もと製薬系の仕事をしていた人と飲む機会があった。
温厚なその人は、「お医者さんはかわいそうだ」と言う。

学生時代に勉強して勉強して難しいことをいっぱい覚えて、
医師免許を取って就職してみると、おじいさんおばあさんのルーティン的な治療ばかりで、
説明もなかなか通じず、途中、中断されながら、やっと症状や注意事項を伝える。
確かに、私の知り合いの開業医達も、噛んで含めるように馴れ馴れしい言葉で説明を繰り返す。
相手の予備知識や思い違いの度合いを全く知らない状態なら、ああいう話方しかないのかもしれない。
製薬会社OBは、
「だから、医者たちは、生半可な知識であっても話のできる営業さんたちと雑談したがるのだ」 と、言う。
少しわかるような気もする。その一方で、
「業者と話してる時間があるのなら、もっとちゃんと一人一人の患者に時間をかけて......」 と言われているのも、
わからないではないのだが。

良い医療を目指すには、患者との会話や、治療法の説明が必要だろう。
だが、勉強して勉強して難しいことをいっぱい覚えてきた彼らに、
どこまで噛み砕いた説明が、できるだろう?

数学と物理が得意な私には、数学が苦手な学生が、どこで躓いているかわからない。
医者は、患者が彼らの説明を理解しているかどうか、判別がつくのだろうか?

笑顔を引き出すカメラマンの努力を、なんとなく思い出した。
カメラのスペックを最大に引き出したり、フレーミングや光のセンスなど、それを正統派カメラテクというなら、
子どもを笑わせるのは補助的なテクニックだ。
でも、正統派テクニックを有効に使うためには、補助テクが必要になる。
カメラマンは、あのテクニックをどこで学んだのだろう?
あの努力が必要なことを、どこで覚えたのだろう?

  #(ちょっと追記事項です。#部分) 
  #写真を撮る方々から、それらすべてをかけて写真を撮るのだから、すべてがカメラマンに必要なもので、
 #どれがメインでどれが補助、ということなはい、と、ご指摘を受けた。 
 #もっともといえばもっともな指摘である。

 #話の流れ的に例として差支えないと思ったので、こう書かせていただいたが
 #カメラマンとしての共通項と、撮影対象に対応したテクニックという言い方ならより正確だろうか?
 #南アの野生動物を追うカメラマンには、地元の案内者に交渉する語学力が必須だろうし、
 #海生生物を撮影しようと言う場合はダイビングの免許が必要だろう。
 #ただ、すべてのカメラマンにダイビング免許が必要とは思えないので、
 #そういう違いのつもりで、記述していると思っていただけるとありがたい。  

臨床実習の中に、患者や家族への説明などの行動目標を含む講義 (実習) がある。
某大学医学部の例だと、5年次の臨床実習内容として、
患者およびその家族と良好なコミュニケーションを確立する/コメディカル・スタッフの役割を理解し、協調する/適切な面接技法や問診法を用いて、患者およびその家族から診療に必要な情報を聴き出す/インフォームド・コンセントの役割を理解し、医の倫理について指導医に解説する/患者の立場を配慮しつつ、適切な診察技法により、身体的、精神的所見を得る等の、対患者を想定した実習があるが、
患者の診療録、画像診断、プレゼンテーション、文献活用などなど.....も、ひとまとめにされた
盛りだくさんなコマなので、どの程度時間を割き、どの程度ウェートが置かれているのか不明である。


患者を中心に医療を考えるなら
 (私は補助テクニック扱いしてるが、それこそが実践医療の真実っと叫ぶ方たちがいるのも知っている)、
インターフェースであるインフォームドコンセントなどに問題が発するのは仕方ない部分もあると思う。
ただ、今の世の中のように、医者側にすべてを求めるのは、やっぱり酷なような気がするのだ。

臨床心理士や、やり手のケースワーカー並みに、相手に安らぎを与えて、
中学高校大学の授業で必要な部分を説明してその上で、治療方針を説得するのは、
5分や10分や30分じゃ無理だと思うんだよね。
だから、過剰な防衛手段に訴える医療機関も出てきちゃったんだと思うんだけど.......


まあ、この件に関しては、マスコミを観ても、著作類を見ても、
双方とも歩み寄る気がないとしか思えないので、
誰かがブレイクスルーになる提案を思いつくか、
お役所主導のトップダウンで何らかの措置を取るしかないのだと思う。



風景写真、報道写真、記録のための写真、
子どもを笑わせられないカメラマンは、ほかのものを撮って暮らしていけるだろう。

だけど、患者と接しない医者は、むしろ少数派だよね。

電磁気学、熱力学、偏微分量子力学。医学部の学生に必要だったろうか?
第2外国語はなんのために必要なんだろうか?
中学高校と週に何時間も6年間も英語を習って、ろくにしゃべれない人が山ほどいる。
6年やって無駄だったものを、2年増やして、何になる。

医学部の講義は詰め込むのがアップアップ状態なのだが、
いらんものもずいぶん教えてるような気がするのだ。
      #そのいらんものを教えてた講師の言うセリフじゃないんだけども........
で、いらん一般教養をすっ飛ばした後に、日本語会話と説明能力のレッスン。


臨床目的、医療目的を掲げた新しい学部か学科を作ってもいいんじゃないか? 
もちろん、最先端医療とは両立させる時間があるはずもないから、
運転免許のマニュアルとオートマのように、片方は限定免許にせざるを得ないのかもしれないけど。

これだけ追い詰められているんだ、
そろそろ、医療関係に新しい職業(?)が生まれてもいいころだと思わないか?





あまり考えずにだらだら書いてしまいましたが、

医学医療関係の記事を書くと、「医」 というキーワードだけで
あまり気分のよくない飛びレスをつけてくる方がいらっしゃいますので、
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