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高砂ファン

たかさごファンって言うと、なんとなく日の丸の扇子持って踊ってる
パンダかなんかが思い浮かんじゃうな。
「らんま」のとうちゃんみたいなパンダ。単に言葉のノリだけなんだけども。

      ……ちょっと作ってみた。
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何度か書いているが、京成高砂駅の駅員たちのファンだったりする。
          http://blogs.yahoo.co.jp/green_zebra_2008/3886206.html
具体的に誰というわけではなく、普段の案内にしても、質疑応答にしても、
果てはトラブル対応にしても、彼らの徹底したプロ意識が好きなのだ。
誰か特定の駅員のサービス(?)が良いというのではなくて、どの駅員でも同じようなリアクションをするから、
(偉そうに言うようだが)駅全体の研修システムなり教育システムが良いのだろう。
                       システム化されてるものなのかどうかも知らないけど。

駅の案内の放送って、独特のイントネーションがあったりするよね、
あれが、“らしくて” いいっていう人もいるんだろうけど、聞き取りにくいのは、めっちゃ聞き取りにくい。
日本語が聞きとれなくて苦労した頃のトラウマなのか、
「放送なら聞きやすさを最優先しろ~」 と、思っている。
高砂駅は (というより、これは知る限りにおいては京成線全般のようだが) 
常磐線より活舌が良くて聞き取りやすい。
吹き込まれた放送もなくはないが、電車が入ってきたり発車する直前には
ホームにいる駅員がマイクで放送しているから、放送より聞き取りにくくても仕方ないはずなのに
乗客たちはむしろマイク音声の方を基準に聞いているような気がする。
それだけ聞きやすいということなんだろう。

      ……同じ京成でも日暮里駅はそうでもないかな。
      スピーカーを通した日暮里駅の放送は、録音されたものが多くてJRっぽいかも。

先日、高砂駅で、交代する駅員さんが二人、すぐ目の前の階段を歩いていた。
聞くとはなしに、会話が耳に入る。
「自分は『上野』の発音が悪いんですよ、さっきの変じゃありませんでしたか?」
「・・・・・・・・(先輩っぽい方の駅員の声は聞き取れなかった)」
「『上野~』  『うえの』  『上野ぉ』 ・・・・・・・・・」

努力してるんだなあ、と。感動したものの、繰り返す『上野』は、実は全部同じに聞こえた (笑)


たぶんね、努力の中で評価されたり、人にわかってもらえるのは、ほんの一部なんだと思う。
私は無駄な努力が嫌いだし (ま、好きな人いないだろうけど)、
社会人にとって努力点というのは無意味だと思っている。
自分に対しても他人に対しても徹底した成果主義者だ。
それでも、氷山の一角とやらを水面に出すためには、水面下に9割必要だということは知っている。
おまけに、人生は物理法則に従わないこともあるから、
70%の努力で必ず7%が水面に出てくれるわけではない。

ついでに言うと、個人で作った氷山ならまだいいが (自分で氷山を作れるのが研究だと思う)、
集団で作った氷山の、水面に現れる部分にだけ行こうとする輩もいる。
水面下は容易には見えない。
見えない水面下の成果を、すべて自分のなした仕事のように宣伝するのはいかがなものか?

成果主義であることをやめようとは思わない。
相変わらず 「頑張ったんですけど、だめだったんですぅ~」 というのは、一番嫌いだ。
ただ、水面に現れた人や現象だけではなくて、
水面下を見透しておかなければいけないことは、理解しようと思う。

研究業務以外の仕事を少しだけしてみて、水面下にいる人の評価も正しくし見ないと、
組織や目標が破綻するのではないかと思うようになったのだ。
年をとって、切っ先が鈍ったということなのか、人間が丸くなって、考え方が成熟したということなのか、
今はまだわからない......


組織の仕事を、自分の仕事と実感できないのは、研究者たちの悪い癖だけれど、
...........めんどくさいなあw と思う自分も、いないわけでもないんだけどね。


        気がつけば また、高砂駅を前ふりに使ってしまった(笑)