ブログ引越し検討中 (仮住まい)

yahooブログからの引越しを検討中です。現在テスト使用中。

オーストラリア味

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金色の、イミューとカンガルーのエンブレムは
オーストラリア大使館のロゴ。
今年も、オーストラリア大使館から、
招待状をいただきました (^_^*
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今回は、女性議員を呼んで
お話を聞くタイプのセミナーではなく、
オーストラリアに縁の深い、
医療系のお話を聞くということなので、
しかも、着席でのコース料理だというので 
(たいてい大使館などのパーティは立食なのです)
とても楽しみにしておりました。
(大使館員も、そう言ってました(笑))


最近、電車などで耳の後ろにかけるタイプの補聴器を付けている子どもを見かけるのですが、
聴覚が弱い人が増えたのは、どういう理由なんでしょうね?
目とは違って、耳に対するストレスが、近年になって変わったとも思えないけど
今までは、聞こえなくても我慢してたのかな........
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   子どものメガネも多いけど、あれは、テレビやゲーム機のせいだよね.....  
   娘も、受験勉強の後に目が悪くなって、眼鏡買わなきゃなあ、と思っているのですが。
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さて、オーストラリアの、人工内耳の普及率は、イメージ 2
世界で一番高いのです。
というのも、耳の蝸牛管に
右のようにくるくるっとした電極を
埋め込む (通す?) タイプの人工内耳を、
オーストラリアの研究者が発明したのだそうです。
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音を大きく増幅して、耳の器官を動かすのではなく、
耳の中の電極が、送られてきた音を振動として
蝸牛管に伝えて、聞こえる仕組みらしいのですが
説明を受けたときにはわかったような気がしたのに、
うまく伝えられないので、下記を見てください...
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人工内耳 
http://www.ricoh.co.jp/shuwa/qa/naiji.html#003
日本コクレア社 
http://www.cochlear.co.jp/
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日本コクレアの方が来てプレゼンテーションしてくれたのですが、
治療によって、助かる人が目の前にいるのもいいものだな、
と、毛嫌いしていた 「患者と距離の近い医学研究」 に、少しだけ興味が持てました。
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  #私の記事を読んで、医学関係の研究者だと思う方がいるようなのですが、
  #医学関連に興味がないわけではないけど、自分の仕事にしたいとは思いませんでした。
  #大学を選ぶときからだから、かなり根が深いようです。
  #患者に求められて、追いかけられるように研究開発をすることに、
  #そしてそれを自分の職業とすることに魅力を感じなかったのです。
  #魅力を感じなかったのではなく、自信がなかったのかもしれませんが。

  #患者をそっちのけでプライベートを優先する医者は許し難いと思う一方、
  #そんな、サボる (?) たびに罪悪感を感じなきゃならないような仕事は、
  #ごめんだと思ってしまいます (我がままですね (^_^; )。
  #その手の職種の恋人も、わがままが心置きなく言えなくなりそうで、控えるようにしていたし。

  #「サボったときに(上司に叱られはしても)人間としての罪悪感は残らないような仕事」
  #が、私が自分の研究分野を選んだ理由だったりします。
  #だから、医療現場にいたり、医学系の研究をしている友人たちを、心のどこかで尊敬してます。


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オーストラリアの春の花であるウォトル (ミモザ?) が飾られたテーブルで、
フルコースは、白身魚のマリネ風、ラム肉のミートパイ (これはオーストラリア味でした)、
パブロバではなかったものの、やっぱりオーストラリアの味の焼きチョコケーキなどが出て、懐かしかったです。


そうそう、もう一件、日本ノーリフト協会発足の報告がありました。

看護師・看護婦さんたちの腰痛が日本では非常に多くて、その回避のためには
患者のベッドからの移動にロボットや機械を利用すればよいことがわかっている、
オーストラリアではノーリフト(看護師が患者の体を持ち上げない)活動がすでに盛んで、
それは、患者さんが人間に抱えあげられることに不安を感じる、という理由でもあるのですが、
日本人なら、看護婦さんに遠慮したり、体に直接触られるのが嫌なケースもあるでしょうし、
日本で反対される理由がわかりませんでした。

……現場以外の、精神論「人間の手で看護されるのが良い(美しい?)に決まっている」
って理由のようです。
私はばかばかしい、と思いましたが、
そういうわけで日本に定着するのは難しいのではないか、との言葉も(会場で)出ていました。


うーん、ちょっと仕事でバタバタしているうちに、すっかり記事(文章だけ)が溜まってしまった orz
ひな祭りパーティなどもやったのに。
季節はずれになるけど、だんだんに出そう、っと (涙)