送別会
カテゴリーにピタッとしたものがないので、転職へ。
送別会で送られた花を、撮影してみました。
(チビの保育園の卒園式(本人は卒園してない)、娘の卒業式(小学校卒業)、私が貰った花束も混ざって、
家の中に花がいっぱいです)
1年間、研究部門をお休みして、事務部門に出向していた。
(チビの保育園の卒園式(本人は卒園してない)、娘の卒業式(小学校卒業)、私が貰った花束も混ざって、
家の中に花がいっぱいです)
1年間、研究部門をお休みして、事務部門に出向していた。
主に組織の運営にかかわる部門等で、
研究機関 (あるいは日本の科学技術) の将来の方向性を決め、
それを見越した研究者の採用を行っていくには、
文系出身者の集団である事務方だけではなく、
現役の研究者として、前線にいた者の目が必要だということで、
毎年何人かづつ、研究者が事務部門へお手伝いに出されるシステムなのだ。
研究機関 (あるいは日本の科学技術) の将来の方向性を決め、
それを見越した研究者の採用を行っていくには、
文系出身者の集団である事務方だけではなく、
現役の研究者として、前線にいた者の目が必要だということで、
毎年何人かづつ、研究者が事務部門へお手伝いに出されるシステムなのだ。
私は住む所にも所属部署にもこだわらずに、自分のやりたいことをやる性格なので、
ついでに、年度初めに交渉して、エフォート (その仕事への専従率)を押さえてもらったので、
学会の委員会活動や、国際会議への出張は差し障りなくできた。
それでも、慣れない仕事でかなりストレスがたまったし、
種類の違う多忙さに追いかけられて、研究業務はロクにできなかったように思う。
ついでに、年度初めに交渉して、エフォート (その仕事への専従率)を押さえてもらったので、
学会の委員会活動や、国際会議への出張は差し障りなくできた。
それでも、慣れない仕事でかなりストレスがたまったし、
種類の違う多忙さに追いかけられて、研究業務はロクにできなかったように思う。
約束通り、1年間そこで働いたので、その部署ともお別れになる。
初めはお互いに顔色をうかがいあっていた事務官の人たちと、
いつの間にか冗談を言い合ったり、助け合ったりできるようになった。
付き合いのある事務官さんたちが、かなり優秀な方だということにも助けられたのだろう、
大変そうにしていたら、黙って下請け的な仕事をしておいてくれたこともあった。
私は研究部に戻るが、何か手伝うことがあったら、可能な限り協力したいと思うし、
彼らとは、これからもよい関係を続けていけたら、と思う。
いつの間にか冗談を言い合ったり、助け合ったりできるようになった。
付き合いのある事務官さんたちが、かなり優秀な方だということにも助けられたのだろう、
大変そうにしていたら、黙って下請け的な仕事をしておいてくれたこともあった。
私は研究部に戻るが、何か手伝うことがあったら、可能な限り協力したいと思うし、
彼らとは、これからもよい関係を続けていけたら、と思う。
1年間、ありがとうございました。