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読書録 『死者の書』

創元推理文庫 ジョナサン=キャロル 『死者の書』 読了
   http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/448854701X/kzz-22

ズバリ、お勧め本♪

ジョナサン=キャロルについては、歌鳥氏のブログで興味を持った。
解説などを読むと、ホラーではなく、ダーク・ファンタジーという新しい括りの小説らしい。 

  実はキャロルは昔、何か読んだような記憶もあるのだが、
  その時はマキャモンやバックマンのエキサイトホラーばかり読んでいたので、
  彼のさりげなさを、派手さに欠けるとみなして、読み飛ばしてしまっていたらしい。

しかし今読んでみると....この小説は.....  なんというのか…… 平たくいえば、 “怖い” 
血が飛ぶように どっひゃあ~ と怖いのではなく、ヘビが這いずるように、怖い。

    #余談だが、ヘビが這いずるような=クリープ というのだけど、
    #キングも脚本書いてたというTV番組の 『クリープショー』 は
    #どっひゃ~系が多かったような気がする。

この小説の設定としては、よくあるタイプ (?) で、
主人公が怪しい街に迷い込む (あるいは転居する) して、巻き込まれるパターンである。


<ゼブラ的あらすじ:反転しないと見えないので、これから小説を読みたい人はパスしてください>
  トーマス=アビィとその彼女サクソニーは、有名作家マーシャル=フランスの 病的なまでのファンで、
  高校教師を休職し、伝記を書こうと、彼の住んでいたゲイレンの街に乗り込む。
  一方、マーシャル=フランスが住んでいたゲイレンの街は、
  いつ誰が死んで、誰が生まれて、どんな事故が起きて、など、
  マーシャル=フランスが書いたとおりに事件が起こり、人々の運命が小説のとおりに決められている。
  だから人々は、予期しない事故などないと、安心して暮らしていた。
  だが、マーシャルが死んでから、運命が狂いだした。
  起こる予定のない事故が起こり、人が死んだりした。
  トーマス達がゲイレンにつくと、これまで伝記作家を追い出していたはずのマーシャルの娘アンナは、
  トーマスを好意的に受け入れる。
  アンナや住人達は、彼に街の話を書かせることで、運命を小説の通りに戻し、
  なおかつ、マーシャルを復活する話を書かせようとしているのだ。
  マーシャルを復活させたのち、用無しとばかりにサクソニーは殺され、トーマスもアンナらに追われる。
  が、追ってくる事を予想していたトーマスは、子供の頃に死んだ自分の父親をよみがえらせており、
  間一髪のところを助けられて一見落着。

    (あらすじだけ書くとむちゃくちゃな気もする……歌鳥さん、怒らないでください (T-T) )


住民たちがみんな怪しく、一見、親しそうにしてて、何考えてるかわからない・・・・・・
それが、小説家 (あるいは単なるモノ書きでも、英語教師でも) である主人公ならではの
ネタに絡めて書かれている。

主人公のトーマス=アビィは有名俳優の息子だが、アンチタイプのファザコン (←ゼブラ的には断言) で、
神経質で独善的で、高校教師でありながら、職務を嫌ってるんだか単に疲れてるんだか、という
比較的ありふれた、ヘタレだ (←ここも断言)。
前半の自分探しの旅みたいな部分を、うんざりしながら読んだと言っても過言ではない。
その恋人のサクソニーも、トラウマだらけの拘り性で、ヒステリーで料理が下手で、
あまり好かれるタイプではない。
二人が心酔する小説家、故マーシャル=フランスの娘であるアンナも、(サクソニーよりはマシだが)
思わせぶりなセリフばかりが鼻につくハイミスで、あまりピンとこない。

つまり、どの登場人物にも、さしたる好意を抱かせないまま、小説が進んでいく。
ストレートに怖いわけではない、ほんの少し、トーマスが 「あれっ?」 と思うような小さな違和感が、
柔らかいフレークが重なるように積み重なって、少しづつ少しづつ怖さと気持ち悪さが増していく。
 
       #この、「あれっ?」 という気持ち悪さと、たまに出てくる洒落たセリフだけのために
       #後半まで読み進められたという気もする。

中盤から後半にかけて、ホラーテイストがバシバシ出てきたら、少しその手の怖さは薄れたような気がする。
               (同時に、別の怖さが発生するのだが、それについては後述)
気がつくと、アンナを嫌な女だなあ、と思うようになっていて、サクソニーをとても気に入っていた。

トーマスがサクソニーを失うところは、それほど書きこまれているわけではないが
自宅に向かって走るところと、その他ごく僅かな文章で、彼の無念と失意がわかる。
(後ろの数ページは駆け足なのだが) ラストシーンでは、トーマスに、「良くやった」 と、
言ってやりたくなった。

   実際には登場しない マーシャル=フランス という架空の童話作家の存在感が凄い。
   それに比べると、マーシャルオタクのトーマスもサクソニーも娘のアンナも色あせる。
   キャラクター的にはマーシャルの独り勝ちだと思う。

さて、分析など野暮な気もしつつ、
この小説の、ホラーストーリー以外の部分での怖さを考えてみると、

‥按譴靴銅分たちの都合しか考えない、古い集落の怖さ。
⊂説を書け、と、文字通り命がけで脅してくる連中の怖さ。
自分の未来を、死ぬときまで含めて知るのは幸せだろうか? 
  それを気楽と考える人たちを、説得できるだけの根拠を自分は持つだろうか?
っかの筆先一つで運命を書き換えられてしまう怖さ。
ネ集製颪鮨じ、受け入れ、そのうち予言書の通りに行動しようとする狂信者の怖さ。
実力に似合わない評価を得たとき、冷静でいられるか?
Ъ分の作中人物ばかりで構成された街にいて、その運命も自分で決めて、孤独を感じないかな?
┷鄰羶擁を実在させて、その運命を決められるようになったら、独善的にならずにいられるだろうか?

一つ一つをテーマとして書かれている小説もあるだろう。
上記の怖さの一つにスプラッタシーンでも組み合わせて、映画にしたものも多いと思う。
,蓮 TENGU』 にもあったし、△蓮 悒潺競蝓次戞,世掘↓は数多い予知能力もの、
い蓮愎澄垢離錙璽疋廛蹈札奪機次戞↓Г録斥佑慮鋲箸澆燭い覆發鵑世掘◆愧蝋?量杣録』 は┐領爐澄

一つ一つをもっと深く考察 (?) すべきな気もするし、
この程度の軽さだからこそ、もりだくさんでもOKだったという気もする 。
、い留震刃静なところなど、考える人類永遠のテーマなような気もする。
ただ、この 『死者の書』 は映画にできないだろう。
派手さに欠けるうえ、よほど、神経質にならなければ、この怖さは伝えられないだろうからだ。

マーシャル=フランスは、ゲイレンの街に戻って、小説 (街の運命の続き) を書き続けただろうか?
アンナは父親に消されて、新しく作りかえられてしまうのかな?
トーマス=アビィはこののち、理想のサクソニーを復活させるのだろうか? 
自分のゲイレンを作るのだろうか?

希望になりそうなサクソニーを消してしまったために、小説の未来は暗い。

PS (これも伏せ文字)
   マーシャルを復活させたら、用無しになった自分達が危ないって言うのは、
   トーマスにはわかんなかったのかなあ...... (^_^;
   読者的には、すぐにわかりました☆