ブログ引越し検討中 (仮住まい)

yahooブログからの引越しを検討中です。現在テスト使用中。

研究者の反抗期  あるいは 『〇〇〇に☓☓を』 という読書録

---小説に興味のない研究者の人は、画像下の後半だけどうぞ。---

さて、実際に 『〇〇〇に☓☓を』 なんてタイトルの本があるわけではない。
ダニエル=キースの 『アルジャーノンに花束を』 と、東野圭吾の 『あるジーサンに線香を』 と、
それにかまけた、研究者の反抗期と親離れの記事である。


電車の吊り広告で、東野圭吾の新刊を知った。『カッコウの卵は誰のもの』
                (と言うか、今そこに吊り広告がある....... Zebra on the train)
カッコウの卵は誰のもの  http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784334926946/

吊り広告の説明がうまい。
子供の才能を伸ばしてやりたい親、巨額を稼ぐスポーツの才能を持った子供、
で、カッコウの卵 (カッコウは他所の巣に卵を産む託卵な鳥) である。

東野圭吾は本人が工学部寄りの理系出身のせいもあるのだろうか、
謎の対象やネタの選び方が、私の引っかかりにシンクロしてくれることが多い。
ストーリーそのものでなく、その中で使われるイベント (エピソード) に、心惹かれることも多い。
 
  #とはいえ、彼のすべての作品をお勧めしているわけではない。
  #私は、東野圭吾宮部みゆき真保裕一のファンなのだが、
  #宮部みゆきは悪人に魅力がないし (小説の中でも、根っからの悪人を作りたくないのかも)
  #真保裕一はキャラが立ってない奴やバカが書けないし (世の中もっとバカがいると思う)
  #東野圭吾の書く女は非現実的である (本格推理出身の方々、皆さんそうですネ)。 

そんな私が東野作品で一番好きなのは、ブラックユーモアな短編集 『怪笑小説』 中の、
研究者の特質や、評論家とマスコミの愚行を痛烈におちょくった 『超狸理論』 だ。
それとほぼ同順位に、やはり同書中の 『あるジーサンに線香を』 である。
                   (ジーサンにあげるのは花束で良かったんじゃないかと思う)
   怪笑小説 http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=4-08-748846-2&mode=1

若返りの手術を受けたじいさんが、段々若返っていき、戦争で味わえなかった青春を満喫する話で、
若返っていく時に、年老いた自分の苦悩がだんだん消えていくところとか、理解できなくなっていくとことか、
周りの人との相対年齢が変わることによる、女性に対する視線の違いとか、
現代の若者がじいさん世代を見る目に反発するところ等が、コミカルに綴られていく。

   本編の軸とは直接関係なく、彼はここで
   祖父母の時代 (つまりジーサンの時代) の起こした戦争と、戦争責任云々と、
   マスコミに踊らされた似非平和主義者である現代の若者を、並べてズバッと斬っている。 
   「東野圭吾、すげ~」 と思った一瞬である。

若返って止まるわけがなく、やがてじいさんの若返りは止まり、今度は急速に老いていく。

皮肉が効いていて、痛烈で、でも、ほろ苦く、
タイトルからもわかるように、これはSFの名作 『アルジャーノンに花束を』 の、パロディだ。
『アルジャーノン』 は何度もドラマにもなっているから、知っている人が多いと思う。


私はこれを博士課程の学生だったか就職して間もない頃だったか、
とにかく東野圭吾の直後に、「あらすじしか知らないから、読んでみよ~」 と、手にとった。


さて、wikiのあらすじを見るとおり、
こっちは脳の手術を受けた主人公、チャーリー・ゴードンの知能指数がどんどん高くなっていく物語だ。
東野のじいさんと一緒で、そのあと元の知能に戻ってしまうのだが、
知能が上がっていく過程で、ゴードンはそれまでの仲間や師に追いつき、追い抜き、
やがて彼らの勉強不足と愚鈍さにイラつくようになる。

研究者になりたての私は........それが、ひどく “痛かった”。


ここからは読書録ではありません------------------

イメージ 1

大学の学部4年生の時に、教員実習のために母校の高校に行った。
すぐ後に大学院の試験をひかえていた私は、休憩時間などに院試の過去問を解いていた。
で、物理に比べて化学は苦手だったので、母校にいた化学科出身の理科教員に、軽い気持ちで質問した。
はじめ乗り気だった教員は 「質問の意図が分からない」 「この設問は無意味だ....」 と、逃げ、
ひどく不機嫌になって、それから約1週間の実習期間、ほとんど口を聞いてくれなくなった。
答えられなかったから機嫌が悪くなったのは、すぐにわかった。
高校生の時に尊敬していた先生なだけに、その愚かさがつらかった。

私は大学初期から物理が好きで、謎解きが好きで、実験が好きで、大学の教授達を尊敬していた。
物理学科の教授なら物理全般の質問に、答えられると思っていた。 (← この解釈は間違い)
そして、大学院の学年が進むごとに頻繁に思うようになる、
「なんでこの質問答えられないの?」 「なんでこの文献読んでないの?」 
「なんでこの説明が理解できないの?」
「どうして分からないまま、勉強しないでいられるの?」
それまで尊敬していた教授であればあるほと、その落胆が大きくなった。
学年が進むほど、科学は専門性が高くなる。当然、隣の分野のことは知らない。
自分が興味のないことは調べもしないし、知らなくても気にしない。
だから、彼らが答えられなくても無理はないのだし、それは不信に繋がることではない。
ところが、世の中には学生に対して 「いつまでも何でも答えられて尊敬される先生」 でありたい人もいて、
そんな一部の教授の悪あがきが、なおさら私の混乱と不信感に拍車をかけた。
はじめからバカにしているならいいが、尊敬してから失望するのは悲しい。 

   なんだよ..... 勉強すればするだけ、幻滅する人間が増えるだけじゃないか……

20過ぎの大人だったから、露骨に態度には出さなかったつもりだが、
それはしばし、反抗心や不信感となって残っていった。


今考えるとお笑いである。 
私は精神的に未熟なまま知能指数だけ上がってしまったゴードンさながら、
いつまでも教授たちの下で庇護されたいという甘えと、
未知の現象を片っ端から解明する科学者でありたいという自尊心・独立心に翻弄されていた。
はっきり言おう、典型的な 『反抗期』 である。

   アルジャーノンを読んだ時は、まだその余韻が残っていたので、キツかったのです........(苦笑)

そして私は、ある日突然、博士課程進学時に担当教授が言った言葉を思い出したのだ。
 「指導教官が知らない知識、指導教官のものではないオリジナリティがなければ、僕は博士号を授与しない」

ああ、こういうことだったのか。
質問したり調べたりした時に、誰かが答えられたり、どこかの科学雑誌に報告された事だったら、
それはもう、現役の研究ではないし、研究者 (博士) が新たにやることではないのだ。

イメージ 2
      そうか、私の質問には、もう誰も答えてくれないし、
      誰も答えられないんだね。
  
      研究者になるって、そういうことなんだね。
     
      ものすごい不安と孤独感である。
      親 (教授) 離れの瞬間である。    
      反抗しながら、甘えてたんだろうなあ、私。
   

あの頃からずいぶんたって、私は時々こちら側から、
若く、研究に対する自尊心が高く、反抗的な研究者を見るようになった。
回りの教授達も、そういう若者の鼻っ柱を折ってみたり、真っ向から対立して闘ったり、
ニヤニヤして眺めていたりする。
でも、彼らは、若者には反抗期があっていいと思っている。

  「お前はピッカピカに突出した弾を持ってるんだろうが、俺にはいくつも弾があるんだよ」

研究の瞬間最大風速は大学院か就職10年以内くらいにあって、
そのあとはきっと勉強する (勉強するために使える) 時間が減っていき、
吸収する力も落ちていくのだろと思う。

だが、人間の知識は時間と研究速度の積分値である。 
老教授は学んできた時間が長い分、負けない。弾数が多い。流れ弾みたいなのを自分で持ってる。
この質問だったら、誰がBESTという情報も持ってるし、コネだって持ってる。
負けない教授だけが、反抗的な若手研究者を、正しく指導していけるのではないかと思う。

  違う教授もいるけどね (苦笑)
  過去の栄光にしがみついたり、立場や権威を利用して威張られてもね。
  権威絶対の分野もあるみたいだし、うちの分野にもそういう人がいないとは言わないけどぉ~

私は若手ではないけれど、大教授でもない、
だから反抗する側とされる側を、行ったり来たりする。
雑務で忙しくても、子どもが小さくても、研究することをやめてしまったら、積分値は増えない。
だから、追い抜かれないように、積分値や弾数を増やす努力をするだけである。
無理をして息切れしないように、淡々と。



ちなみに、同書には 『逆転同窓会』 というリタイアした恩師と教え子との関係を
ストレートに皮肉った短編も入っている。
彼らの話が、物理学系自然科学者の話と、同じものではないが、
まあ、どれもこれも、切り口が鮮やかで、お笑い系に落とす短編にするのはもったいないようなネタなのだ。

だから、最近の長編小説やガリレオも、彼の初期の短編に比べると、何となく物足りなくもあるんだよね。


       って、きゃあああ、電車乗り過ごしたじゃないのよ (←前半は出勤、後半は帰宅途中に書いてた)