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個性と統計

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雪だ~ 電車止まりそう。 っていうか、すでに徐行運転しているのかっ
                        (現在2月1日電車の中)

さて、専門バカに陥りやすい研究者である私にとって、とても感謝すべきことなのだが、
ブログの訪問先で読む記事で、いろいろを考えさせられることが多い。
考えること自体が、仕事に反映し、良案を得ることにつながる場合もある。

今回の元記事 (許可をとってから、トラックバックを貼るかも)
   コニーさん http://blogs.yahoo.co.jp/connie_kako31/35190764.html
   an71pmさん  http://blogs.yahoo.co.jp/an71pm/30973820.html

まず、コニーさんの記事とコメント類は学校教育と個性がキーワードでした。
元記事は元記事で読んでいただくとして……

楽家、芸術家のインタビューなどを聞くと、
子ども時代に、学校や回りの子どもたちになじめなくて苦労をした人が多い。
回りになじまなかったから、オリジナリティ高い芸術家になれたのか、
回りに揉まれてもなおかつ、消えないほどの才能と個性があったから芸術家になったのか、定かではない。
しかし、他人と接することや、集団生活で消えうせるような個性なら、花開くまで続かない様に思う。
ただ、もう一方で、個性とはだんだんに (いつの間にか?) 自分の中で形作っていくものだとも思う。
だから、シード状態の時に不用意に潰さないで欲しいな、とも思う。

子どもを学校に預ける、“純粋個性志向の親”の本音を極論の形で言ってしまえば、
   「たかが教師に、世界的芸術家になるかもしれないうちの子の個性をとやかく言われたくないのよ。 
   学校で (その芸術性を) 伸ばすことなんかできないでしょうけど、
   せめて殺さないように気をつけてねっ」 
なのではないかと思う。(まあ、学校から得られるものを何もないと考えててるかもしれないが)
でも、そんな風に言うのは憚られる&自信もないので、学校におもねる形で
  「個性を伸ばして欲しい」
なんて言ってるんではないだろうか? 
あるいは、そういう一部のかっこいい (?) 親 (本人が音楽家や芸術家) の尻馬に乗って、
真意も分からず、「うちの子だって」 or 「うちの子も」 と、
     「個性を伸ばして」 なんて言いだす親が多くなったのではないだろうか。

   #他人の話を聞かないのを、個性だなんていう方もいなくはないので、
   #アーア....と思ったりすることもあります。

だいたい、個性って言うのは他の子と “違う” ポイントであって、何かが “できない” ことではない。
自分の子どもについて、ここがこの子の個性なんだ、と説明できる親がどのくらいいるだろう?
私は無理だ。
「ああ、最近、そういうお子さん多いんですよね」、と、
塾の先生あたりに言われそうな、ポピュラーなポイントしか持ち合わせていない。

  いやいや、たしかに自分の子どもに才能があったら、
  それを信じてあげるのはいいことだとは思うんだけどさ。

  個性や才能とは何だろうと考えた時、それは母数 (後述) とする団体の平均値からのズレとだと思う。
  だから、個性的な子が多くなってしまったら、それは標準分散の範囲が広くなることだから、
  今まで飛びぬけた個性とされていたこともその中に含まれてしまって、
  全然個性にならなくなると思うんだが......  (ま、そんなことは考えてないんだろうなw)
  個人の特性を大事にするのが流行っているから、うちの子も個性を伸ばそう、
  なんていうのはそもそも矛盾してると思うんだよね。
  流行、となった時点で、一般に紛れちゃうわけだから。
     (個性があるのが当たり前でも、それぞれの特徴が混ざりあうわけではないから、
      伸ばそうと努力することは、それはそれで無駄でもないんですけどね)

さて、次はその当たり前を決める母数の側の話。母数平均をどう見るか、って話だ。
an71pmさんの記事は、並ぶことについて書かれていて、コメント、リコメント類も面白い。

関西と関東、国内と海外で店や電車に並ぶ様子が違う。
記事や私の印象を大まかにまとめると 
     #母数平均のエスティメートですなw
     #あくまでゼブラ見解&身の回りの印象ということを断っておきます。
 ・関東人は並ぶ。
 ・関西人は並ばない。
 ・中国人は並ぶ文化がなく、並んでいるところに割り込む。
 ・関東人は並ぶが、列の進みが遅いとイライラする。
 ・ヨーロッパの人たちは並ぶ。待つことを苦にしない。
 ・米国に住んでる人たちはルールとして並ぶが、金や権利などでラインを乱すことをいとわない。

小学校や中学校の場合、その標準値を向上させるのが先生方の手腕ではないのかと思う。
社会生活上必須なルールを教えること、ルールに従うべきだという考えを教えること、
金や権利を不用意に使わないという道徳心を教えること、そんなあたりじゃないかと思うのだ。

また、(時々、はき違えている方もいて、まるで、「全員に、ぴったり平均点をとらせたい」、
という姿勢が垣間見えてしまう時もあるのだが (←純粋個性志向の親はこれが嫌なんだと思う)、正しくは、)
クラスの標準値、平均点を上げるために、各々の生徒にプラス10点取れるように努力する…...のが
本来の教師の仕事なんではないかと思う。
だから、才能や個性も、それが人道的(?)に外れていないものだったら、
プラスアルファーで伸ばせてしかるべきなんだよ、きっと。



以下は平均値の話のおまけ。

いきなり仕事の話になるが、共同研究者や部下を選ぶ時、
本人の個性や特質を知っていればいいのだが、そこまで知らない人を採用しなければならないことも多い。
その時、母数平均の把握がモノをいう。

ヨーロッパの研究所で、ときどき、日本人限定なのか、と思うような求人広告を見る。
真面目なアジア人を採用したい、でも、文化や生活レベルが自分たちと似ているから、
日本人は一緒に働きやすい、というのだ。
もちろん前任の日本人が良い仕事をしてくれたから、というのもあるのだろうが、
語学に問題はあるが、権利の主張とわがままさ加減、常識の範囲が自国に似ているから楽~、というわけだ。

たとえば、非常に分かりやすいが、米国人は、自分はあれもできるこれもできる、と吹聴することが多いのだが、
文書やメールで学歴や職歴を詐称することは少ない。
日本人、ヨーロッパ人も(自分を売り込んだり自画自賛をする割合はかなり違うが)
経歴記述などについてはだいたい同じなので、応募書類を信じてOKである (苦笑)

でも、(用語の違いなどもなくはないのだが)、学歴など、当たり前のように詐称する国も、なくはない。

ほとんどの国の大手研究所が似たような見解を持っていて、
だから、日本人ははじめから、書類審査である程度有利だったりすると思う。
いつだったか忘れたが、ホテルでのマナーの良さも、日本人は高いランキングだった気がする。
でも、その分日本人は、他のアジア人のような 「がむしゃらさ」 が足りない。
がむしゃらさについては、欧米人と同程度である。

割り込みや詐称をするお国柄は、自分を主張して何が何でも目的を達成するという
個人の意気込みに通じる時もある。
異文化人が混じることによる職場環境の居心地の悪さより、そのパワーが優先とされるプロジェクトもある。
生活面では楽でも、がむしゃらさがない日本人は、英語の喋れないヨーロッパ人種と同じだから、
一緒に仕事をするメリットがないな~、という流れになってしまうこともなくはない。
目的に応じて、共同研究契約を結んだり、人を採用するのが、研究機関の現状なのだ。

時々、ヨーロッパで日本人とは思えないようなマナー (あえてこう書く) の人々を見ることがある。
愛想が悪かったり、フレンドリーでないのは、まだいい。それは日本人のアピールポイントになってないから。
だか、マナーの良いこと、勤勉であることは、
外国語が苦手であることを凌駕しうるアピールポイントになりつつあったのに。

いまさら、これを崩さないで欲しいなぁ。と、思います。

(『僕から見た秩序』 というネット記事を、つくばエクスプレスの中で読むことが多いのですが、
 どうも結びの文体が引っ張られます (^_^; 
 ちなみに、その前は ラレコ先生に引っ張られて困りました)



トップ画像は、夕べ帰宅してから撮った窓の外。
感度を下げたままシャッタースピードで調整したので、雪がまっすぐ降っているのではなく
ひらひら落ちていく奇跡が写ってます。
これはこれで面白いので、そのまま載せました。