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珍しくニュースネタ (コメントはカギ付きでお願いします)

今しがた携帯で見ていて気付いた。
懐かしいなあ、これ (笑)
   元児童が千葉市と和解=「嫌いな人」発表でいじめ
   http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100628-00000062-jij-soci
 
遥か昔、私もやられたなあ。 っていうことなんだけども。
   
  (携帯で書き始めたものの、書き終わるネタじゃないので、PCに打ち込むこんでおくことにする at  
 


 
帰国したての、小学校の高学年だったと思う。 
当時、日本語の不自由な私にもわかるように、ゆっくり喋ってくれるクラスメートが
帰宅途中で言った。
 
  「□△さん (私の名前) が 休んでた日に、先生に、嫌いな人を 書かされたんだよ」
  「ふーん、だれ 書いたの?」
  「□△さん (私の名前) 」
  「は?」    (何が言いたいんだ? この子は ← と、英語で考えたと思う)
  「誰も 書かなかった人には、先生が転校生の□△さん、って 書きなさい って 言ったから」
  「?」   (だから、それを私に告げることに、何か意味があるのか? ← と、英語で考えた)
 
聞き取りは出来ても、言いたいことを伝えられるには程遠かったから、
そのあとで急に泣き出したクラスメートをどうすることもできず、
かといって、好き嫌いアンケートを別段どうという風にも考えずに (← 私は鈍い子だった)
その時は、どうしてこの子は他人 (私) に嫌なことを言っておいて、
本人が泣きだすのか、と、見当もつかなかった。 (← くれぐれも、私は鈍い子だった)

その翌日か、翌々日か、少なくとも私が覚えているうちに、
担任教師に呼び出しをくらった。
担任曰く
  「あなたはクラスで一番嫌われている」 
  「はい」    (← それがどうした、と思っていたと思う)
  「どういうことかよく考えなさい」
  「・・・・・・・」    (← あんたが書けって言ったんじゃん、と、英語で考えていた、と思う)
  「言ってることが、わからないの?」
  「はい」 (← 今となっては不明だが、Yes, No の違いで、よくトラブルになった記憶がある
                   たとえばこの場合、私的には、わかっている、と答えたつもり)
 
話しているうちに、先生大激怒。
山のような日本語の中で、「お前のことを嫌いなのは私だけではない」、という一節をキャッチし、
あ~ そういえば、親からそんなこと聞いていたな~、と、思い出した。
 
  「あの先生、お父さんが空襲で亡くなったったそうで、
     英語を聞くだけで不愉快になると言ってたから、
        外国帰りを意識させないように気をつけなさいよ」  (← 小学生にはかなり難しい)
 
そういう理由で、当時の私は極端に無口な子になっていたのだが。
私にとって、「第2次世界大戦」 と 「お年寄り」 は、根拠なく他人 (私) を憎んでいい免罪符だった。
豪州では、小学校の友達の爺さんが、日本嫌いで云々かんぬん、という事が山ほどあったから、
またそれかよ。。。。と、うんざりしつつも慣れっこになっていた。
そう言った話題は、自分ではどうすることもできないこと、と、諦めるしかなかった。
まさか教師までそういうことはないだろう、と思っていたのに、 あーあ・・・・・・・・ 
 
親に相談しようとは思わなかった。
友達の爺さんと同様、うちの親は親で、頑ななまでの日本びいきだった。
おまけに、口を開けば 「日本語を話しなさい!」 だった。
そんな彼らに日本語で言いたいことが伝えられるとは思えなかった。
 
片言で、英語が入っていても聞いてくれる、他のクラスの先生に話した。
学校で唯一、その先生だけは、
(私が喋らないだけで) 周りの言葉をかなりの部分で理解していることを知っていた。
彼女も私と話すときはゆっくり話した。
「あの先生は、立派な先生だから、あなたを 嫌ってる わけじゃない と 思うよ」
「でも 嫌いだ って 言った」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 
親より若い先生だったから、婆さん世代の私の担任教師には、逆らえなかったんじゃないかと思う。
今思うと、厄介な立場に追い込んでしまったようで、申し訳なかった。
そして間もなく、(多分そのルートで) 前述のクラスメートが私に好き嫌いアンケートの話を伝えたことが
担任教師に伝わってしまう。

 
次の週には、そのクラスメートはクラス全員の前で担任教師から、 
「喋るのがトロイ」 とか 
「□△さんくらいしか、友達がいない」 などと、指摘されるようになっていた。
担任教師のお気に入りの生徒たちは、気配を見計らって、いっせいにその子をいじめ始めた。
あーあ・・・・・・・・と、思ったが、私はもともといじめられていたし、
クラスメートの彼女は日本語を話せるわけだし、と思って、放っておいた。
                          恩知らずと言えば、恩知らずだったかもしれない。
それから、話を聞いてくれる存在だったけど、あの先生にも何も話せないなあ、と、思った。 
                          多分、英語で。
 
    結局、学校でのトラブルは、登校拒否をすることでクリアした。
 
 
 
家を出ないと親がうるさいから、鞄を持って家を出て、大病院の待合室で時間を潰していた。
待合室にある漫画や、図書館で借りてきた戯曲ばかり読んでいた。
うすうすわかっていたろうに、居場所を提供してくれていた病院の人たちに感謝している。
 
中学で絵を描き始めてからは、屋外スケッチと美術室がローテーションに加わった。
創作活動もいいが、教師としては失格だ、と (←時々、個展を開くような人だった) 
評判のよくなかった美術教師にも、感謝している。
彼も私に居場所を提供してくれた。 よくは知らないが、防波堤になっていてくれたのかもしれない。
 
いつになっても日本語がうまくならない私に、
親は ”英語を理解する数学・国語の先生” を、家庭教師につけてくれた。
おかげで落ちこぼれないで済んだ。 これにも、素直に感謝している。
 
   でも、そんなこんなで教室へ行く必要は、完全になくなってしまった。
 
 


 
自分の子どもたちが学校に行く年齢になって、
小学校が嫌ならば、いくらでも休んでいいよ、と言うつもりだったが、
幸い、娘 (現在中2) も息子 (現在小1) も、楽しそうに学校に行っている。
娘は担任教師の方針と合っていたことも合っていなかったこともあるが、まあまあうまくやっている。
私も、日本語を完璧 (?) に理解した上で学校教師と話してみると、
システムとしていろいろとやむを得ない部分があるのも、理解しないではない。
娘たちの学校で、精一杯頑張ってくれている教師がいるのも、今はわかっている。
 
    かつて、進学塾と公立学校の担任教師の間でトラブルがあったのを娘から聞いたが、
    学校側に何か言っても先生達は何も変わらないし、生徒の立場が悪くなるだけだから、
    学校には言わないでくれ、と私に告げた娘のスタンスは、
    (塾側に入れ知恵されたものだとしても) 小中学生時代の自分と、似ている気がした。

モンスターな父兄がいるから、まともな父兄に対しても、出来ることが少なくなる、と、教師たちは主張する。
ただ、それを言うのならば、教師同士のトラブルや仕事の不均衡の負債を、
児童や父兄に押し付けるのは間違っていると思う。
 
    ああ、、これって、医者 vs 患者の関係ともよく似ているね。
 
多分自分は、潜在的モンスターペアレンツの一人なのだと思う。
苦情を言っても好転しないと思うから黙っているだけで、勝機を見つけたら、襲いかかるタイプだろう。
上記引用ニュースの関連コメントなどを見ると、お仲間(攻撃準備中)が多いなあ、とも思う。
 
相互理解がここまでなくなってしまったのは、何が根源なのだろう、と憂う気持ちもなくはない。
でも、根源を考えても、改善に努力しようとしても、自分の子供たちには間に合わない。
自分の子供を、学校改善の人柱にするつもりもない。
学校のシステムや、社会を変える仕事を、自分が担当しているわけでもない。
 
 
  ニュースや社会は、記事のように、腐ったリンゴをはじき出すことに必死なようだが、
  無傷のリンゴが一つもないなら、
  一般市民は 痛んでない部分 を齧っているしかないのだよね。
 


 
そういえば、以前
 
「 l と r の区別もつかんくせに、nativeの私になまりがあるとホザいたあげく、
              帰国子女だとわかった途端に敵視しまくった英語教師が嫌いだ」、
 
と、書いた記事に、そういう (帰国子女等の) 生徒は扱いにくいので、先生の立場を理解すべきだ。
帰国子女と言うのは我が強くて云々かんぬん、と非難してきた老教師 (自称) がいました。
 
私は、中学生時代の教師に対する不信を、いまだに解消できないことを書いたはずなのに、
多くの小中学校の先生方 (あくまでネットなので自称教師、なんだけども) は、
いっせいに教師を擁護するコメントをつけてきました。
 
教師バッシングともいえる記事群 (少なくはない) に、
「そういうことってあるよね」、という意味合いのコメントを付けてくださる先生は、
お一人だけです。
 
その方の記事を見ると、自分も教師 (? 元教師なのかな、不明です) でありながら、
(自分が被害者だ、逆境だという苦情でなくて)、自分たちの組織を冷静に憂うものがあったりして、
時には100パーセント合意できない部分もあるものの、興味深く読ませてもらっています。

こういう先生の言葉が、組織の上の方に通って行けばいいのになあ、とも思います。
あまりこちらからコメントをつけることがないので、ご本人、お気づきになっているかどうかわかりませんが、
学校不信の私からしてみれば、希望の一つになっております。
この場を借りて、お礼申し上げます。

          あ....そろそろ 駅だ。

 
タイトルにも書きましたが、こういう記事は荒れる可能性もあるので、
ご意見のある場合は、トラックバック、あるいは内緒コメントのこと、よろしくお願いいたします。