懐かしさの成分
そういうわけで、昨日は仕事で母校に行ってきたのだが。
卒業して☓☓年もたつと、建物も校風も色々と変わる。
そんな中で、学習院大学は強固にカラーを変えずにいた方だと思う。
それでも、
・スキー実習に使う、山荘を手放した。
・合宿所を手放した。
・仮講堂を潰して、ちゃんとした講堂にした。
・キャンパスの隙間に、新しい高層の建物を建てた。
・ピラミッドの隣に、背の高い事務棟が発生。
・ピラミッドを潰した。
・工作工場の建て替え。
バブル期と、その後の経済・景気の落ち込みで、何があってもおかしくはない。
無くなる (私立大学だと経営破たんというのだろうか) のも時間の問題かと思っていた、お隣にある某大学も、
今はきれいな建物等が増え、教員を募集に応募がなくて悲しい思いをすることもなくなった、と聞く。
私は、仕事で母校を訪ねることも多かったから、ずっと最近まであった、ピラミッド校舎や工作工場は、
母校に行けばいつでもあるもの、と、つい、安心してしまっていたのだが、
ピラミッドは一昨年潰され、工作工場も今年の初めに新校舎に引っ越しした。
昨日、ピラミッド校舎の跡地に、小さなモニュメントが出来ているのを見つけた。
こんな形だったよなぁ・・・・・・と、思う。
中は階段教室で、二階の座席があって、(スタッフが聴衆側に回るような)通常より大掛かりな講義や、
色々、思い出すのだが、そういう記憶も、だんだんに風化していくのではないかと思う。
昨年の暮れには、旧工作工場のお別れ会があった。
私の恩師よりもっと年上の人から、現役の学生まで、それは盛況なパーティで、
大騒ぎで酔っぱらっていたから、名残を惜しむ余裕などなかったのだが、
その後、知り合いのカメラマンさんに工作工場を撮影していただく、という幸運に恵まれた。
学生時代には怖かった工員さんと同席して、撮影風景を見ていたのだが、
カメラマンさんは、トースカンやハイトゲージを撮影していたり、床を狙っていたり、
「工場の外の人は 一体、何に興味を持つのだろう?」 と、
三脚にセッティングされたカメラが、どこを狙っているのか、素人目にはわからなかったりもした。
その方にプリントアウトして送っていただいた写真を、新しい工作工場に渡してきた。
(電子データはともかく) どこに置くのが一番良いか、恩師や工員さんたちと考えた結果だ。
セミナーの合間だったから、あまり時間が取れなかったけど、
工員さんと、教授と、私と、新しい工場の木の匂いの中で、アルバムをめくった。
床の傷、窓の歪み、古い戸棚、そして持ち出された工具の後・・・・・・・・・・・・
確かに、建物は懐かしいし、部屋の風景も懐かしいが、
私たちは、こんな細かいところを、こんなに深く記憶してたんだ。
カメラは的確に、そんな我々の懐かしさの成分を、撮影 (英語的には狙い撃ちと同じ単語) していたんだ。
偶然居合わせた大学スタッフの一人が、隠れ写真ファンだったらしく、
「すげ~ 誰が撮ったの? 前の工場だよね、これ、記録写真じゃないよ、芸術だよ」
と、大騒ぎしていた。
「プロのカメラマンに撮ってもらったんだよ」
工員さんが説明すると、彼は光がどうとか、ピントがどうとか、とひたすら感心し続けた。
私は、懐かしさのあまり、写真の良し悪しは目に入って来なかった。
いや、その懐かしさを直球で届けてくれたのだから、良いのは間違いないのだろうが。
ピラミッドの懐かしさ成分を、分解してみようかと試みる。
強い日差しに、くっきりと影が浮き出ていた、内側の回廊かな。
周りの堀の魚かな。
思い出すことはたくさんある。
大学院生で、準スタッフみたいな顔をして、タイムキープのベルを叩いたり、
プロジェクター (今は見ないOHP(オーバーヘッドプロジェクター)) のランプを交換したり、
古い大学だったから、遮光カーテンに穴があいていて困ったことなんかも。
多分、(映像としての) 懐かしさの成分抽出がかなわなかったピラミッドは、
学生の頃
という巨大なフレーミングの中で、だんだんに薄れて行くんだろうな。
ああ、もちろん、懐かしさっていうのは総合的なもので、
映像だけでも思い出だけでも、匂いだけでもないと思うんだけど。
だから、 「おふくろ映像」 と 「おふくろの味製造機」 と 「おふくろスプレー」 では、
再生できないんだけど。
でもさ、懐かしさっていうのは、どんなに分解しても粉にしても、
きっと見る人が見れば、懐かしいんだろうと思うんだ♪
過ぎ去った日々に 乾杯