ブログ引越し検討中 (仮住まい)

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--虹色の箱-- AS TIME GOES BY

研究所に、プロフェッサーが来た。学生時代の私の担当教授ではない。
共同研究をしているドイツ人の相方の上司だ。今回は、何やらオフィシャルなお仕事らしい。
           #この記事では、プロフェッサーをその職位ではなく、彼のあだ名として使おうと思います。

私の研究者生活は、けっこうラッキーで、ポスドクもせずにいきなり研究所の職員になった。
相方はその頃、博士課程の学生で (ドイツには兵役の義務があるので、学位取得が30くらいになる) 
PhDを取得後、いったん企業に勤めた。
 
企業の研究開発部門とはいえ、もっとアカデミックな研究がしたい、と、
彼は時間があれば、大学で行われているセミナーに出かけたり、学生時代の研究論文をまとめたりしていた。
会社の休暇に日本に来て (共同研究者として旅費はこちらで準備した) 私と実験していったのも、
アカデミックポジションに戻りたい一心だったのだろう。

研究所の職員になってしまうとわかりにくいが、ドイツの大学教授はプライドの高いところがあって、
企業のスタッフと、気さくには口をきいてくれないという。
 
     「でも、彼は違うんだ。すごく頭が柔らかくて、興味を持ってディスカッションしてくれる」
 
ヨーロッパの学会にかまけて、相方に会いにいった時、
彼はそう言って、私を大学にいたプロフェッサー (当時は助教授) に紹介した。
その頃は彼ら自身、ドイツ内のセミナーで知り合って間もないらしかった。
で、大学を訪問した私に、プロフェッサーにはいきなりセミナーをやらされた。 えっ 
      (学会帰りだから、プレゼン資料持ってたけどさー  それに講演料貰ったけど。ドイツマルクで ←歳がばれるな
そのあとで、私と、相方と、プロフェッサーとで、長い時間ディスカッションした。
みんな専門分野というかベースが違う。 エキサイティングだった。
当時相方は、そんなに英語が堪能ではなかったのだが、語学なんてどうでも良かった。
筆談でも、絵を描いても、興味と疑問と答えが、お互いに伝わりさえすればそれで良かったんだ。
 
  その時、プロフェッサーは、自分の任期が間もなく切れるので、
  教授のポジションに上がるには、いったん別の大学でテニュアを取らなければならないと言っていた。
  相方のいた企業の部門は、某巨大日本企業に共同出費という形で買収されて、
  大勢がレイオフされる予定だった。
  私も、一人目の子供が生まれたばかりだったから、
  その後どのくらい研究時間がとれるか予測がつかなかった。

相方もプロフェッサーも、今はドイツの巨大研究所のスタッフだ。
小さな大学にいたプロフェッサーが、研究所にアプライしてポジションを得た時、
会社を辞めて工科大学の助教授をしていた相方をスカウトした。
お引越し直後、私はまだ空き家の彼らのラボを、相方と一緒に見て回った。
 
   「ここにはSTMを置いて、この部屋は共通機器を置くんだ。ぼくらのオリジナル装置はここ」
 
やがて、プロフェッサーは偉くなって、自らがラボに行く時間はなくなってしまった。
相方も私も、実験室に行く時間を、予算獲得の書類作成に邪魔されている。
でも、興味の持ち方や、質問の鋭さ、データのどこに引っかかるかは、昔も今も変わらない気がする。
新しい研究を、面白がるところも、自分が知らない文献を引き合いに出されると、ちょっと悔しそうにするところも。

プロジェクトの都合で、我々の関係はタイトになったりルーズになったりするけど、
興味を持っていたのがマイナーな分野だったので、相変わらず共同研究をしている。
 
 
 
「で、今回の来日の目的は? 新しい日独プロジェクト?」
私は、プロフェッサーを会議室に迎えに行った時に、他の職員がほっとしたような顔をしたのが気にかかってた。
親しくなってしまうと全然違うのだが、プロフェッサーはそれほど愛想が良くない。物をはっきり言う。
そのプロフェッサーが、「まあ・・・・・・ね」 と、言いにくそうにした。
 
時に、国の行うプロジェクトは “プロジェクトを行うこと” が主体になって、
研究目的や内容を十分に考慮しきれないことがある。
でも、そういう研究費の使い方も、まったく無駄なわけではない。
            雇用を促進し、研究者の流動化を確保し‥…云々かんぬん。 ま、お題目だけど(^^;
            雇用促進は、今日も某総理が力説してたし。
             でもさあ、雇用促進して、定年伸ばして、それで公務員数削減?どうやったらできるのか教えて欲しいです。
 
プロフェッサーのいるポジションなら、そうういお題目にも、ちゃんと意味があることがわかっているはずだ。
私の場合は、女性研究者の新規雇用だの研究環境確保だのっていう、機構運営の仕事がそうだ。
無駄ではない。国もそれを推し進めている。 
                                でも、情熱を傾けられない。

「プロジェクトの日本側のメンバーに入ってくれないか?」
 
私は日本側メンバーの顔ぶれを考える。 プロジェクトの素生を考える。
少しだけ、考えるふりをする。
(ある程度の年齢になった研究者は、みんなそうだと思うが) 私は雑務が多い。
だから、自分は研究にあまり手を出せず、雇ったポスドクをコントロールするような仕事は、これ以上嫌だ。
時間が無限にあれば、ポスドクをコントロールしつつ、自分の研究もできるだろうが、
長距離通勤をして、子供の面倒を見て、では、そんな時間はとれない。
 
何年も付き合っているし、相方からも聞いてプロフェッサーもわかっているのだろう。
少しの間の後、プロフェッサーは笑って、「まあ、忘れてくれ」 みたいなことを言った。
だから、そんな風にお昼に二人で食事をして話しあって、
夕方の偉い人たちとの会食には私は参加しないことにした。
                                     ごめんなさい………

   なるべく早く、自分たちで、
   自分たちがコントロールできるサイズと、
   コントロールできる研究目的のプロジェクトを立ち上げよう。
   サイズが大きすぎたり縛りがありすぎたり、政府や、自分たちより偉い誰かの意向が混じるのはダメだ。
   現在、相方と私は、小さな日独ジョイントプログラムを走らせている。 あれがもっと成長しますように。

   研究の現場に、いつまでも部下の管理ではなく、研究自体を目的としていようとするのは
   研究者のわがままなのかもしれないけれど。
 


 
研究の成果の評価と言うのは、とても難しいものだと思う。
「◎◎を作ります。」 「●●を調べます」 と言っても、
必ず成功する筋道が決まっていないからこそ、研究の余地があるのだ。
完全にそのものが成功するとは限らない。
XXの研究の過程で、この発見をしました、なんていう偉業も、枚挙にいとまがない。
だから、大抵の研究成果は、論文発表件数とか、学会内でのその人の評価とか、新聞発表をしたかとか、
そんなことで代用される。
 
だが、かつて私の研究領域の総括は、ある研究者の中間審査時に、
「素晴らしい研究報告であることはわかった。博士課程の学生が大勢いれば論文数も増えるだろう、
            ただし、この研究資金は、その研究のために与えたのではない」  と、言った。
つまり、「これまでXXに有効だとされ改良が重ねられてきたA試薬は
      着眼点を変えると、○○ に活用できると考えたので、その研究をします」
という提案書なら、いくらそれまでの分野でXX効果に華々しい結果が出たとしても、評価しないというのだ。
社会的には評価されても、資金提供をした組織としては、当初目的を目指した研究しか認めない、と。
 
厳しいなあ。 と思ったが、 たとえば企業から支援を受けて◆の開発をしていたら、
           ノーベル賞級の■ができ上がっても、企業には何のメリットもないだろう。 ←名誉は別か?
その場にいた研究者たちは、息を飲んで、姿勢を正せた気がする。
 
  巨額の公的資金で箱モノを作ったものの、利用者がいないとか、使い勝手が悪いとか、
  そんな税金の無駄、と、罵られるようなレベルでないのはわかっている。
  成果もある。金銭の流れに不正もない。
  あまり研究内容を厳選してしまうと、研究が進まないのもわかっている。
  だが、ドイツ人は厳格である。決定事項を真面目に守り、杓子定規な面がある。
  だから、目標外成果が増えても、本来の目的に向かっていかない姿勢が気に入らないのだろう。
  グレイゾーンの大きい日本側の研究資金に、納得がいかないのかもしれない。
 
   その辺を誰か、きちんと話し合える人がいればいいのだけど。
   多分、これは本音の部分になるんだろう。
   だから、同じプロジェクトに参加しているか、資金提供者しか伝えてはいけない気がする。
   相方に相談してみようか......... 母国語で、上手く説明してくれるように。
 
                                    ごめんなさい、といったものの。 なんだか気が重い。