ブログ引越し検討中 (仮住まい)

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編集をしてみる

暮れから新年、クリスマスパーティもしたし、初詣もしたし、新年会にも行ったのだから、
それほど忙しくないじゃないか、と言われれば、否定はできないのだが、
私的には、近年まれにみるくらい追いつめられて、
            日本語の文章を読みまくってました。
 
と言うのも、現在、教科書を作ってまして...........
 
教科書といっても、高校までの様な教科用図書検定をパスしなきゃならないようなものではないが、
大学で使うテキストも、自分が執筆した書籍を使える教授ばかりではないので 
(理系だと、自筆テキストを使う教授は少ないかも。部分執筆の場合は結構ある)
大抵の場合は、市販のあるいは、自分の分野の研究者が執筆した書籍をテキストとして使う。
 
有名かつ使いやすい書籍は、おのずと決まってきて、
だから、学部の2年生までの一般教養段階は、ほぼ固定している。
 
     例えば、キッテルの固体物理なんて、
     知らない理学部生いるのかな、と思うくらい出回っている。
     それからファインマンの物理学、
     日本人なら久保亮五の統計力学、江沢洋の量子力学なんかもそうだ。
     表面科学なら塚田捷先生か。
 
一方、大学院も博士課程の自分の専門になってしまうと、テキストなど存在しないし、
また、テキストが存在する程度の (つまり新しくない) 研究をされても困る。
参考にするものがあるとしたら、学術雑誌にある論文のみだ。
  (で、学術雑誌に出ている論文は、他の研究者にひっくり返されることもしょっちゅうだったりする。
   つまり、結論の出ていない議論中の内容や、予測が含まれていて、信用できるとは言い難いのだ)
 
さて、それでは一般教養でもなく、かといって博士課程の専門でもない場合はどうするか。
大学の4年で専門が入りはじめた時、または、大学院の学生に対するテキストは、
最先端の部分に繋がり、かつ、学術雑誌の論文のようにひっくり返されるようでは困る。
そうなると、数年から長くても10年程度でリバイスしていかなければならない。
 
そういうわけで、  新しい教科書(シリーズ)を作りなさい ← 学会からの天の声
と、言うことで、編集委員の一人に指名されてしまった。
 
自分で全部書くわけじゃないし、いいや~ と思っていたのだが、とんでもない。
やっとの思いで依頼を承諾してくれても、 ←私もそうだった。
締め切りまでに書いてきてくれる先生方は少ない。 ←私もそうだ。
何度となく催促し、書き上げてもらったら、ページ数オーバー、ページ数不足、 ←ごめんなさい、ごめんなさい。
そのあとの、閲読(この場合は、内容があっているかどうかチェックする人、論文査読者みたいな感じ)
に回すのだが、閲読は嫌だと言う人 (←自分に原稿依頼が回って来なかったかららしい)
とても忙しいとは思えない仕事の仕方をしてるのに、妙に恩を着せた挙句に拒否する人、 ←閲読はOK出すぞ?
ああ、きっと雑誌の編集者なんて、ストレスたまる仕事なんだろうなあ~ と、実感する。
 
自分の分野をちょろっと書いていた時からは、想像もつかない大変さである。
 
おまけに........
編集委員は、シリーズ五冊で各巻3人づついるのだが、
私の担当する巻の他二人の編集者は、大御所すぎて、文句は言うけど手は動かさない。
〇〇先生に依頼しなさい、☓☓さんではダメ、みたいな助言はくれるが、メール一つ出してはくれない。
閲読依頼だって、センセーが頼んでくれれば恩に着せずに受けてくれる人多いと思うんですけどねっ
いや、まあ、それでも相談に乗ってくれたり、催促の電話かけてくれたり、
普段の大御所のお仕事の多さに比べたら、やってくれてる方だとも思うんだ。
他の巻には編集委員の依頼を受けたまま、一度もメールも会議も出てくれない人がいると聞く。
 
ちなみに、シリーズ通しての編集委員長は、長年一緒に学会の仕事をしていた、
頭も手も良く動く方で、今も昔も雑用に埋もれてらっしゃいます。
うん、でも、あんなに忙しい彼が仕事をこなしているから、私も逃げちゃいけない、と思ったりするんだよね。
 
     http://blogs.yahoo.co.jp/green_zebra_2008/3741047.html   かつての記事の、この方です。
 
12月末の締め切りのものが多かったから、自分の研究所の仕事をそっちのけで、取りかかっていた。
 
とにかく、他人とのメール連絡や電話が山ほどあって、英語中心になっている研究頭がフヨフヨになる。
つくづく、これを仕事にしている雑誌編集者の人達は偉大だ。
 
暮れまでに集めきらなければならなかった原稿は、今だ入稿されず。 
戻って来ない閲読、山ほど。
 
              つまりは、まだまだ 前途多難