ブログ引越し検討中 (仮住まい)

yahooブログからの引越しを検討中です。現在テスト使用中。

訃報

色々、気分転換しようとはしてるんだけどね・・・・・・・・・・
 

I Will Survive(The Replacements)
                         
 
私立大学出身で、しかも女の私が、研究所や本庁で差別を受けないですんでいたのは、
力のある後見人がいたからだ。 決して、自分の力だけだったとは思わない。
文科省 (以前は科学技術庁) の顧問をしてらした同性の教授は、
私が根拠ない差別を受けないで済むよう、表になり裏になり、力を貸してくれた。
彼女と親しいと知られることで、周囲の人たちが私を差別をすることは、押さえられていたのだと思う。
逆に、それをかさにきて過剰なわがままを言わないように、私の方が注意していた。
 
小柄で笑顔が可愛くて、でもリンとしてかっこよくて、気持が若くて、友達みたいな会話もできる。
メールも会話も、竹を割ったように明快で、私は彼女の弱みも、苦悩も見たことがない。
普通にメールのやり取りをして、年賀状もいただいていたから、療養されていたなんて知らなかった。
                                             ---- わかる人にはわかると思うが、別記事の 大先生のことだ ----
                       ---- ダブリン大学を身近に感じるのも、彼女の職場だったからだ ----
 
大事な後ろ盾を失ってしまった、と嘆いたら、背中をバンバン叩かれて、叱られるかもしれない。
「今更後ろ盾なんて必要ないでしょ」 「自分が誰かのバックアップできるようになりなさい」 
「あら、面白い指輪してるわね、どこで買ったの?」
                                                 やっぱり、元気のよい所と、楽しい事しか思い出せません。
訃報は昨日遅く届いた。 
私たちは、葬儀も弔電も送れなかった。
葬儀の場所を教えてもらえなかったと、連絡をくれた理学部長は、少し悔しそうだった。
 
   震災のすぐ前に、大学の研究室でずっと世話になっていた同性の先輩
   (当時は助教さんだった)が亡くなった。
   その時は、悲しくて何もできなかった。 悲しさだけで、他のことは何も感じなかった。
   その方の時も、親族の方々は、大学関係者が葬儀に来るのを良しとしてくれなかった。
   親の世代くらいの女性研究者達は、色々と家族の問題を抱えていたのかもしれない。
 
お葬式に行けないから、お別れが出来ないというわけではないけど。
遠くから、冥福をお祈りします。 
ありがとうございました。