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相対的不幸レベルと、違う大きさの友達

濃い味の料理が蔓延して、他人を憐れむ感情が抱きにくくなったのではないかと思う。
              (読み返したら変な文章だったので、開き直って真ん中を抜いてみた)
 
激辛料理を食べたあとに、出汁や食材のデリケートな違いがわかりにくくなるように、
他のディープな事件やマスコミの報道で、史上最強レベルの不幸を知ってしまうと、
目の前にいる人の小さな不幸になど、同情できなくなるのかもしれない。
 
両親と姉が帰宅難民になった震災の後、
小学1年生だった息子は、家族に会えなかったことでノイローゼ状態だったのだが、
「被災地で両親を亡くした子もいるのに、一晩会えなかっただけなくせにわがままだ」
と、担任の教師は取り合わず、
泣き虫になった息子に、むしろそれまでより厳しく接した。
 
もしもその教師が被災地で、両親を亡くした子供にかかわる仕事をしているなら、
その手を止めでまで、我が息子に気を使えとは言わない。
だが、東京の小学校の中で、(他の子に比べて相対的に)トラブルのあった子を気にかけるのは、
東京にいる担任教師である彼の仕事なのではないかと思うのだが、
これは親バカの主張なのだろうか?
 
   直面している時は分からなくても、しばらくしたら(自分が冷静になって)変わるかと思ったが、
   やっぱり、あの時の担任教師の言動は、納得がいかない気がする。
   激辛報道に毒された味覚に、息子の苦味が感じられなかったのではないかと思う。
                             や~い、味音痴  とは言わなかったけどさ。
 
たまにあるパターンで、セクシャルハラスメント窓口のおばちゃん相談員が、
「昔はそのくらいされても、泣き寝入りするのが当たり前だったのよ」、
「貴女のは(私と比べて)大したことないんだから、我慢しなさい」 って、
もみ消しちゃうのに似てるな。
 

さて、一方で、
「それではいけない」、「弱者の痛みを感じ、他人の心を推測する力がなくなっているのは問題だ」、
「特に現代の若者には、相手を思いやる気持ちが欠けている」、と危惧する動きがある。
米国でも日本でも、「弱者をいたわりましょう」、と言う教育が盛んに行われているように思う。
 
が………
大人も子供も報道を通して、激辛料理に慣れてしまった味覚に、
デリケートな京料理の機微が分かるのだろうか?
 
結果、上品な出汁も、水で薄めたソースも、同じに扱うバカどもが出てくる。
「それは同情に値する不幸ではなくて、単なる怠け者ではないの?」 と、誰かが主張しても、
「これに同情できないなんて、なんて冷たい人なのっ 非人間!!」 と、非難されてしまう。
仮病であっても鬱は鬱で、本人の感じ方が大切で、だから平等に扱えってな主張をする人達がそれだ。
でも、長期の病気休暇を使いたいなら、病院の診断書を持って来て下さい、と、限度を決めるしかない。
仕事ができないなら、給与が低くても我慢して貰わなくては、仕事が成り立たない。
 
    本人の感じ方が問題、というのは、セクシャルハラスメントの定義でもあるのだが
    (本人がハラスメントだと感じたらハラスメントである)、
    二人きりで、何回も奢ってもらったり、プレゼントを貰ったあげく、
    半年以上してからハラスメントだと訴えるのは、やっぱりおかしい気がするのだよ
 
結局は、区別・判断する事が難しくなってるんだろうな、と、思う。

特に、大きな不幸や、大事件があると、小さなものは見えにくくなるし、
一つ一つの質など、ちゃんと区別できなくなるのではないだろうか。
 
その結果、不純物が紛れ込む。紛れ込んだ不純物を排除しようとすると、
味覚が麻痺して、純・不純の区別がつかなくなった人々が、「それはいけないことだ」と大騒ぎするんだ。

 
インド人は、どうしてあんなに辛いカレーの中の、微妙な味の違いがわかるのだろう?
鍛え方が違うのかな?
もしかしたら、何か答えた見つかるかも、と思ったのだが、乗り換えのせいで頭をすりぬけてしまった。
 
                                               ゼブラ@


 
 
去年、お抹茶BOYは公文教室(小中学生の塾)の先生から、
「仲の良い子と一緒のクラスだと、遊んじゃうから、別のクラスになろうね」と、クラスを移動させられた。
彼は小学校2年生、遊んじゃう相手の子は小学校6年生の受験生だった。
 
昨日、公文教室の先生からまた電話がきた。 
「公文教室に来る日を、もう一度他の曜日に換えてもらえませんか?」
 
あれ? 前、変えたじゃん、と、思ったのだが………・
受験の終わった上級生の子が、お抹茶のクラスに代わってきたのだそうだ。
先生曰く、「追いかけて来たのかと。一度断ったんですけど、どうして変更できないのか、ってゴネて」
はあ、と、思うしかないのだが、
遊ぶ時間欲しさに、お抹茶BOYの公文プリントをその子が解いてやってしまうのだそうだ。
 
       ははははは。。。。。。。
             (ちなみに上の娘は、学童クラブで、上級生に宿題を全部やらせていた過去がある。兄弟で似てるな)
 
まあ、先生が禁じても、繰り返し練習の嫌いなお抹茶は、内緒で頼んじゃうだろうなあ。
相手の子に注意して上手くいかないから、こっちに相談が来たんだろうなあ。
実際、先生は相手の上級生と、そのお母様には先に頼んだのだそうだ。
・・・・・・・・前回と同様、上級生側で対応できなかったから、こちらに連絡をしてきたのだろう、とは思う。
 
電話の間、そわそわしていたお抹茶に、どうしたいか聞いてみた。
すでに公文の先生に、言われていたらしい。
 
       「一緒だと、どうしても遊んで騒いじゃうから、別の日に行く」
 
4年生になって受験用の塾に行くのなら (←お抹茶は上の子と同じことをするつもりでいる)、
それまでならいいんじゃないの?、と言ってみた。
 
       「○○くんは、もう大きいから、塾で遊んじゃいけないんだ」
 
・・・・・・お抹茶を追いかけて曜日変更して塾に来る中学生、その子のために別の日に動くというお抹茶、
そんなに想いあっているくせに、塾で大人しく出来ないのは、やっぱり子供だからなのかな。
塾で遊んだり騒いだりしちゃいけないのは、学年によらないと思うけどね。
 
      「外(塾以外)でその子と遊びたい?」
 
       「わかんない」
 
彼はこうと決めたらあまり揺らがないので、公文教室はその子と別の曜日に行く事になると思う。
彼の感情はデリケートな部分と鈍い部分がまだまだ凸凹で、寄り添ってやりたいと思ってもつかみきれない。
味の濃淡ばかりでなく、不思議な味なのではないかとも思う。    <<抹茶味、とか言わないように
 
もしかしたら、 いや、たぶん、子供のすべてが複雑な味をしているんだと思うけれど。
   
 
 
ただ、執着しあっている二人を引き裂くのは、なにやら心苦しい。