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「頑張ってるんだよ」

算数でも国語でも、お抹茶BOYは繰り返し作業をする事が嫌いだ。
公文教室のプリントは、一枚が小さくて問題数も限られているが(1ページが小さくて圧迫感がない)
二桁の掛け算が、A4プリントいっぱいに広がっていると、それだけでやる気がうせるようだ。
 
       曰く、  「みんなおんなじ問題なんだよ」
 
気持ちはよくわかる。幼少期に算数が得意だった人は、大抵わかるんじゃないだろうか?
頭をひねって考えるよりも、同じ作業を続ける解き方、ということだ。
 
でも、同じような問題だからといって、計算を間違わないわけではないから、
母親としては、「練習なんだからちゃんとやりなさい」 「間違っちゃううちは、何回もやらないと」 と、
なだめすかして、学校の宿題である一枚のプリントを、(比較的)綺麗な文字で仕上げさせた。
                       (彼がだらけると字が乱れ、4と9、0と6がぐちゃぐちゃになって、自分でも読み違う)
 
 
学校から帰った(正確には学童クラブに寄ってからシッター宅で食事をして帰った)彼は、不機嫌だった。
 
         「あんなに頑張ったのに、僕は褒めてもらえなかった」
 
彼に聞くところによると、最後までプリントをやってきた事をすごく褒められる子もいるのに、
「○○君(←お抹茶の名字)は頭いいから」 と、全部出来ていて当たり前にされたのだそうだ。
 
         「あんなの、九九を覚えてればバカだってできるよ」 ……だそうだ。 それよりも、
 
         「すごく嫌だったのに、最後までやった僕をほめて欲しい」  ………う~ん
 
普段から、算数が得意な子と、苦手な子が、同じ分量の宿題をした時に、
どっちが頑張ったかと言ったら、やっぱり苦手な子の方が頑張ったと思われてもしょうがないだろう。
私や夫が研究者だと知られているせいもあると思う、
学校教員の先生達のお子さんたちも、そんな目に会っていないだろうか。
それは彼らの子供に対して 「出来て当たり前、大変じゃなかったよね?」 という誤解だったり、
「出来ないはずないよね」 というプレッシャーだったり。
でも、問題の解き方を理解していても、地道な繰り返し作業が極端に苦手な子もいるし、
だいたい、努力や頑張りは、他人には見えにくいし………
 
その一方で、日本の小学校は、ともすれば、完成度よりも、過程を重んじる。
問題が解けたか解けなかったかという事よりも、どのくらい努力したかに価値を見出す。
授業中、飲み込みが速く見える彼は、プリント一枚をするのに苦労しているようには見えないのだろう。
 
努力に価値を見出す学校の中にいるから、彼本人の価値観もそうなっていて、
だから、(彼は彼なりに)努力したのをわかって欲しいし、頑張ったのを褒めて欲しいのだ。
 
    「ママはあなたが頑張ってたの、知ってるよ。偉かったって思ってるよ」
    「やりたくない事をやったあなたも偉いけど、
           出来なかった事を宿題で頑張って、できるようにした子はもっと偉いよね?」
 
色々話したが、なかなか納得しない。
多分、もう少しして、受験用の予備校にでも行くようになれば
「頑張ったね」 よりも 「頭いいね」 と言われることが嬉しく(誇らしく?)なるのではないかと思うが……
それまでは、親が褒めてやるしかないのかな。
 

 
限定の記事だし、思いだしたので、ちょっと追加。
お抹茶BOYの小学校は、校長先生がやり手で上手なツテを持っているのか、
週末の学校公開の時に、オリンピック選手やパラリンピックの選手に来てもらって、
子どもと父兄に向けて、講演をしてもらえるチャンスが多い。
 
前回は、ゴールボールというスポーツの、女子選手たちだった。
視覚障害の方たちのスポーツとして考案されたもので、目隠しをしながら、音の出るボールを転がし、
ゴールにいれる、パラリンピックでも行われている競技だ。
これも目隠し、音だけでボールの軌道を捕えるゴールキーパーがいて、ゴールを邪魔する。
 
イメージ 1
 
選手のお姉さんたちは、とてもお話が上手で、
普段の生活では、靴音の響き方で部屋の大きさや壁までの距離がわかったり、
さっき歩いてきた所は、階段の数や、階段までの歩数を覚えておいて、次には歩けるようにする、など、
子どもたちが目を見張るシーンも多かった。
(目を見張るだけじゃなく、上履きで床をバンバン踏みしめて、反射音を聞こうとしたりもしてたけどね
 
ゴーグルをかけると、真っ暗になって、光さえも入らない。
 
   「これなら、目の見える人も目の見えない人も同じだね」
 
   「見えない人は、ずっと(この状態で)トレーニングしてるから、耳がよくなるのかな」
 
   「普段目を開けちゃう人は、かなわないね、きっと」
 
ボールの音を聞いたり、ゴーグルをかけてみたりして話し合っていた子どもたち(多分5,6年生)が、
障害をゴールボールのトレーニングととらえていたのが新鮮だった。
 
練習・繰り返し・きっと努力もあるだろう。
一緒にこの講演を聞いたお抹茶BOYを、何か説得することはできるかな。
 

  
    考えてみれば、娘はシンプルだったな~
 
    何か理解するまでに時間がかかって、でもできるようになると、嬉しくなって
    何問でも単純作業の計算問題をやる子だった。
    娘は娘で、煽てに乗せなきゃならないタイプではあったのだが……
 
 
何かと子育ては難しい。