え~~~ &(ポルトガル)エクスカーション
「ポルト」というのはポルトガル国名の略だと思っていたのだか、
リスボンに次ぐ大きな街の名前だ。
………写真のアップロードはドイツに行ってからなんだけど、
一応、現地で呟いておく。
っていうのを空港から出したしたつもりなのに、
送られてないよ~~
ドイツに着いちゃったじゃん
ポルトは次の記事に書いたので、エクスカーションの時に撮った写真をここに入れておこう。
国際会議のエクスカーションで、カナルクルーズとコスタ・ノヴァの海岸見学があった。
ゴンドラでのクルーズというとヴェネチアが有名だが、
アヴェイロの広めの水路を行き交うクルーズは、どちらかというとアムステルダムのそれに近い。
ゴンドラ漕ぎ(ただし途中モーターボート)のオジサンは、英語を通訳を任せたので、
声を張り上げて全員に説明するのは、その気のいいポルトガル人研究者になった。
アヴェイロは浅瀬で、塩の取れる街であること、
海藻やハーブを混ぜ込んだ塩が美味で他の街に輸送するのに、水路が役立ったこと、
水路の突き当りに巨大なセラミック工場がある。
アズレージョはここで作っているのだそうだ。
屋外の駅も、教会も、数々のアズレージョで装飾されているので、
どれだけ生産されてるんだろう、とは思っていたが……
なお、右下のアズレージョは17世紀のものだそうだ。
次にコスタ・ノヴァの海岸に連れて行かれる。
夏の観光地で、黄色や縞々や、かわいらしい色に家が染められていて、
確かに海もきれいだが、他には何もない………
そもそもかつて家をカラフルに染め始めた理由は、
長年家を出ていた船乗りが、家がわからなくならないよう、目印に、とは切ない。
それに、坂の上に行くと、裏側は結構さびれていて、古さも目立つ。
坂道の途中の空中庭園(農園?)をどこかで見た記憶があると思ったら、
魔女宅だった。(ポルトの記事にも書いたが)
ポルトガルには、古い街並みがたくさんある。
大航海時代のタイルや、食事や、古いままのものがたくさん残っている。
古いアズレージョのように時には崩れかけて、残っている。
それは今、国が貧しいからかもしれないが、
時間をかけて調理するという労を惜しまないつつましさかもしれないし、
航海に出かけている稼ぎ手を待つ時間が、十分にあったからかもしれない。
この地方は刺繍も盛んである。娘が恋文を刺繍にして、男に贈ったのだそうだ。
義理母への土産として、刺繍のキッチンタオルと刺繍柄のカップを買う。
隣に置いてあったので、ついでに刺繍が施されたホテルのタオルも撮影する。
ポルトガルは、大航海時代と今が、まだつながっているんだな、と、思う。
ポルトガルは、大航海時代>>ナポレオン軍の侵入>>サラザール独裁時代と続き、
1970年代まで独裁制が続いていて、
その後無血革命とやらで性急な民主化を行い、植民地の独立を承認する。
が、解放された植民地で紛争が起きたり、そのからの引揚者で国がど貧乏になったり、と、
ヨーロッパ史に振り回されてきたみたいな国だ。
それでもEU加盟国になって、今では物価が低くて治安のいい国だ。
リスボンの治安がどうこう言われるが、ヨーロッパ人に言わせるとパリの方がよほど物騒らしい。
チャンスがあったら、もう一度来てみたい国である。
リスボンに次ぐ大きな街の名前だ。
………写真のアップロードはドイツに行ってからなんだけど、
一応、現地で呟いておく。
っていうのを空港から出したしたつもりなのに、
送られてないよ~~
ドイツに着いちゃったじゃん
ポルトは次の記事に書いたので、エクスカーションの時に撮った写真をここに入れておこう。
国際会議のエクスカーションで、カナルクルーズとコスタ・ノヴァの海岸見学があった。
ゴンドラでのクルーズというとヴェネチアが有名だが、
アヴェイロの広めの水路を行き交うクルーズは、どちらかというとアムステルダムのそれに近い。
ゴンドラ漕ぎ(ただし途中モーターボート)のオジサンは、英語を通訳を任せたので、
声を張り上げて全員に説明するのは、その気のいいポルトガル人研究者になった。
アヴェイロは浅瀬で、塩の取れる街であること、
海藻やハーブを混ぜ込んだ塩が美味で他の街に輸送するのに、水路が役立ったこと、
水路の突き当りに巨大なセラミック工場がある。
アズレージョはここで作っているのだそうだ。
屋外の駅も、教会も、数々のアズレージョで装飾されているので、
どれだけ生産されてるんだろう、とは思っていたが……
なお、右下のアズレージョは17世紀のものだそうだ。
次にコスタ・ノヴァの海岸に連れて行かれる。
夏の観光地で、黄色や縞々や、かわいらしい色に家が染められていて、
確かに海もきれいだが、他には何もない………
そもそもかつて家をカラフルに染め始めた理由は、
長年家を出ていた船乗りが、家がわからなくならないよう、目印に、とは切ない。
それに、坂の上に行くと、裏側は結構さびれていて、古さも目立つ。
坂道の途中の空中庭園(農園?)をどこかで見た記憶があると思ったら、
魔女宅だった。(ポルトの記事にも書いたが)
ポルトガルには、古い街並みがたくさんある。
大航海時代のタイルや、食事や、古いままのものがたくさん残っている。
古いアズレージョのように時には崩れかけて、残っている。
それは今、国が貧しいからかもしれないが、
時間をかけて調理するという労を惜しまないつつましさかもしれないし、
航海に出かけている稼ぎ手を待つ時間が、十分にあったからかもしれない。
この地方は刺繍も盛んである。娘が恋文を刺繍にして、男に贈ったのだそうだ。
義理母への土産として、刺繍のキッチンタオルと刺繍柄のカップを買う。
隣に置いてあったので、ついでに刺繍が施されたホテルのタオルも撮影する。
ポルトガルは、大航海時代と今が、まだつながっているんだな、と、思う。
ポルトガルは、大航海時代>>ナポレオン軍の侵入>>サラザール独裁時代と続き、
1970年代まで独裁制が続いていて、
その後無血革命とやらで性急な民主化を行い、植民地の独立を承認する。
が、解放された植民地で紛争が起きたり、そのからの引揚者で国がど貧乏になったり、と、
ヨーロッパ史に振り回されてきたみたいな国だ。
それでもEU加盟国になって、今では物価が低くて治安のいい国だ。
リスボンの治安がどうこう言われるが、ヨーロッパ人に言わせるとパリの方がよほど物騒らしい。
チャンスがあったら、もう一度来てみたい国である。