ブログ引越し検討中 (仮住まい)

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(創作) 永遠の犬

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 今年は蝉が多いようだ。田舎に不似合いな洋館は、雑草と蔓草が絡み合い、湿った蒸気が熱帯の様相を呈している。錆だらけの鉄門を潜り、下草を乗り越えて壊れた玄関を開ける。鍵は掛かっていないが、開けるのにコツが必要なので、入れる者は少ないだろう。扉を閉めると蝉時雨が小さくなった。
 屋敷が相変わらず空き家であることは母に確認済みである。多忙なはずの大学の寮から地元の様子を問い合わせる息子を母は不審に思っている。不審に思いながらも、帝大に通う息子が帰省すれば母は有頂天で近所に吹聴し、食べ切れない程の料理を作る。私は食欲が無く、母に申し訳ないと思う。
 多額の数字が書き込まれた通帳を矛盾なく説明する話も、母には作って措かなければならないだろう。

 暗さに目が慣れるのを待ち、廊下を進み書斎の扉を開ける。一足毎に、埃と胞子が舞い上がり、鎧窓から差し込む細い光を白く浮きたたせる。何か動くものは無いかと神経を集中させたが、屋外の蝉の声が漏れ聞こえる以外、何の音もしない。
 昨年の秋にこの屋敷の主が死んだ。小さな頃から屋敷に入り浸っていた私は、縁者の居ない寂しい葬式に参列させてもらった。私は屋敷に村人達が入るのが嫌だったが、断る権限などなかったから、白黒の垂れ幕で洋館が汚され、黴の匂いに線香が混じるのを甘んじて見ていた。
 人嫌いで陰気な老人が私の学費を出してくれていたことは、私と母しか知らない。老人がなぜ学費を出す気になったのかについては、母も知らないはずだ。

 村長が喪主になって、他人行儀な葬式が進んだ。出棺の時に野良の子犬が纏わりつき、黒服の男に頭を蹴られた。子犬は逃げなかった。私は汚れた日本犬に見えるそれを抱き上げ、一緒に棺を見送った。どこかから、きりきりと音がした。

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 老人が医者なのか時計技師なのか、少年の頃の私は知らなかった。村人の噂では、軍の仕事をして裁判逃のために都落ちしたとも、人体実験の咎で帝大を追われたとも言われたが、老人は私を邪魔にしなかったので、私は学校から戻ると書庫の図鑑を読み漁った。勝手に見たアルバムには白衣を着た写真があったから、漠然と医者だろうと思っていた。
 老人は度の強い眼鏡をかけ、小さな発条や歯車を弄っていた。動物の死骸を弄っている時もあった。老人の機嫌がいい時、図鑑と古いノートを持って、私は老人の手元を覗きこんだ。心臓や血管、骨、臓器。刺激の強い燃料と血の匂い。私は小さな手で、老人に言われる仕事をした。耳から燃料を注ぎ入れてやると、死んだ猫の首が瞬きした。屋敷には犬も居た。肘の毛が擦りきれ、眼球が動きがおかしかったが子犬の形をしていた。

「君の父上の犬だったからね」
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 老人はそう言って、私に子犬を撫でさせてくれた。その子犬は何も食べない。成長しない。日向にいれば暖かい。冬は冷たい。硝子製だと云う眼球は僅かに青く、目を閉じた後に私を見上げる仕草は愛らしかった。私は毎日それを撫でた。それが動く時、きりきりと小さな音がした。音は小さく、抱き上げていなくては気付かない程度だったが、音が目立ってくると老人は「調整してやらなくては」と、それを地下室に連れて行った。
   
   
   
「大きくならないね」
「そうだな」
「永遠なの?」
「そうだな」
「僕にも飼える?」
「それは、どうだろう」
   
   
   
 そして私は医者になろうとした。蘇りではないと老人は言ったが、私にとって子犬は、生きている犬達と変わらなかった。血管、筋肉、眼球、神経.....鋼、発条、歯車、パイプ.....自分にも永遠が作れると思った。それ以上に永遠の犬が好きだった。
   

 遠くから、わずかに蝉時雨が漏れてくる。埃だらけの廊下で、犬を探した。
   
 老人が死ぬのが早すぎた。私はやっと大学に入っただけだった。葬儀の3日後、それまで私を見つけて鳴いていた猫の首が、グロテスクな置物に変わった。私は犬を東京に連れて行こうとした。大学の教授に頼めば犬を助けられると思った。だが、出発の日、どこに隠れたのか犬は見つからなかった。
 春に来た時、地下室で停止していた犬を見つけた。右足の皮が破けていたので見よう見まねで縫合した。傷口から腐臭がした。嫌な予感がした。爪が伸び、毛が抜け変わっていたから代謝もしているはずなのだが。私にはまだ何もできない。きりきりと音を立てる犬の耳に燃料を注ぎこみ、頭を撫でた。犬は私を見上げ、瞬きをした。
    
  
 地下に降りた。犬がいない。
   
  
 猫の首は乾いて形が変わっていた。耳を澄ました。きりきりという音はどこからも聞こえなかった。縫合した足に防腐処理を施すべきだったろうかと考える。皮膚は生きていた? 死んでいた? 骨と一体化したパイプにガラスの眼球。犬は、どうやって私を認識していたのだろう?
 進学するために故郷を離れる前、一晩だけ犬を自宅に連れ帰ったことがあった。田舎者の直感で母は犬に触れようとしなかったが、私は自室に入れて頭を撫でた。父の写真を見せて見たが反応しなかった。父の遺品のカメラを見せたら不思議そうに首を傾げた。夜中に目を覚ましたら、犬はカメラに鼻を近づけて眠っていた。
 古い図鑑は役に立たない。老人のノートを纏めて書棚に戻そうとし、思い直して比較的新しい一冊を手に取った。癖の強い横文字は今の私の学力では追い切れない。情けなさに唇を噛んだ。


 犬がいない。危ないところで動きを止めていないと良いのだが。


 再び明日来る事に決めて、ノートを一冊手に家路についた。其々の家から夕飯の匂いがする。匂い....そうだ、父の匂いを使えば犬が誘き出せるのではないだろうか。時計仕掛だろうと確かにあれは犬の特質を残していた。

 家の明かりが見えた。また、山ほど作っているのだろう、母が野菜を焚く匂いがする。



    ぎぎ…… 

 錆びた門柱がきしむ音と、ちょうど同じだった。訝しく思ったのは一瞬だった、私は顔をあげ音の所在を確かめようとした。襤褸布....いや、破れた縫い包み状の物が視野の端で動いた。

    ぎりっ ぎりっ ぎりっ

 それは、私に向かって進んでいるようだった。頭の皮が捲れて錆の浮いた金属板が覗いている。硝子の眼球はひび割れて真っ白になっている。燃料補給に使っていたはずの耳朶は既にない。腐臭に誘われた蠅が頭の周りを舞い、私が縫合した右足も、すっかり表皮が剥げ落ちている。其れでも、恐ろしくはなかった。尾のあった場所に発条が飛び出していた。私を見つけて嬉しいのだろうか、発条の先が揺れた。
 膝をついて両手を広げた。私の永遠の犬が、走って来る事を願った。どうあっても、東京に連れていく。防腐処理を施し、他の犬の皮膚を移植し、新しい歯車を入れてやろう。ガラス容器の中で、私が一人前になるのを待ってもらおう。だが。

    ぎりっ....  ごっ
   
 動こうとした犬の腹が割れ、臓物と歯車が落ちた。どれだけの時間私を待っていたのだろう、其れの居た場所に体液が流れ出した溜まりが出来ていた。私は其れに駆け寄り腐肉で手が汚れるのも構わずに抱き上げた。犬の形をした皮がぐずぐずと崩れていった。硝子の眼球の片方が動いて、其れは私を見上げ、発条を揺らし、そして
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           くぅ。
    
     
 犬の声で鳴いて    .....動かなくなった。
   
   
   
   
   
   
   
   
 ごめん……… 間に合わなくて。









人の赤ん坊を攫っては食らって、自分の子供を育てていたのは鬼子母神だったろうか。

100人の犠牲を払っても、救いたい一人がいる気持がよくわかる。
心を失った科学は将来がないといわれるが、愛も憎しみも名誉欲も、
軌道を逸した科学発展の駆動力は、まさに人の心、欲望なのではないだろうか?

息子の死を受け入れられず、曰くつきの聖地に埋めて復活させた挙句、
息子の姿をした化け物に妻を殺されるホラーがあるが、私は主人公の愚行を笑えない。
キングの『ペットセメタリー』の最後で、主人公は今度は妻を聖地に埋めに行く。

鬼子母神は改心して、子供を守る神になった。
科学者たちはどこへ行くのだろう。

    写真の記事や医療システムは、本文と何ら関係はありません。
    歪んだ科学と思っているわけでもありませんので、お間違いなく。