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(仙台) ラテン語と科学と良心の話

本日聞いた講演が、なにやら気になったので、備忘録的にメモしておく。
前記事のオルガンの話にも通じるのだが、
文系と理系とか、科学と精神論とか、いろいろと考えるきっかけになりそうな気がするのだ。

ご講演くださった方は、ヨーロッパの大学に留学した後、米国の大学で働いてらして
現在は日本の私学の教授をなさっている。
理論物理の研究者だ。 語学に長けてらっしゃるのは、昔、一緒に仕事をしたときに知った。

以下、北原先生のご講演を抜粋する。


<科学と良心>

日本では、Scienceを科学と訳す。理系の言葉だと思われている。
「科学」と訳されているScienceは、ラテン語の Scientiaであり、また、Scientia は「知る(Scio)こと」 
つまりは
、自然科学に限らず人間が世界を理解しようとする行為である。
          自然科学,社会科学,人文科学がすべて科学と呼ばれることもあるし、まあ、そういえばそうだな
          Scienceのドイツ語訳はWissenschaftで、これは単に「学ぶ」の意味だ。

一方、「良心」と訳されているConscienceは、Con(ともに)とScientia(知ること)の合成したもので,
「ともに知ること」、つまり他者との共通の知識から、「良心」が決まる。
知識の在り方という視点では,ConscienceとScienceは非常に近い。
私は私の良心に従って……などとほざいても、共通認識がなければ認められないものになる。
「科学(Science)」 の研究と教育の中で「良心(Conscience)」も育まれていくのも自然なのだ。


<科学者の責任>

最近科学者の責任(Responsibility)も問われるようになった。
「責任」と訳されている Responsibility は,「応答する(Response)」と「能力(Ability)」の合成語で、
いってみれば、「応答力」の意味だ。
間違っても、日本語風に責めを負う=責任を取って自害する、というような方向に進むものではない。

なお、European Communityの科学技術政策課題は「Responsible Research and Innovation」であり、
「オープンアクセス(←研究成果を独占しない)」が挙げられ、「ともに知る」ことが強調されている。
Science,Conscience, Responsibilityの本来の意味を、理解し、
応答性、関係性の概念の元に、問われたときに誠実に応答して、「ともに知ること」をもたらしていきたい。


―――とのことだ。



なお、これは別の方の発表に入っていたのだが………
レオナルドの橋』は、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」が考えた橋で、接着剤や釘等を使わずに自立する。
災害時に使えると言うメリットもあるが、まあ、科学グッズとして売っていたりもするのだが。


科学の99%は汗でできている!
実物大のを作っちゃった小倉高校、ど根性科学部の皆さん。

イメージ 1

文系だ理系だ、本来の意味だ、などといっても、
ここまで体力な科学に行くと、爽快な気すらする

許可を取っていないので、一応、内緒で。



そうそう、これも書いておこうかな。

ふた記事くらい前に、物理の歴史の話を書いて、和綴じの本の写真など載せてみたが、
写真の日本数物学会の村岡範為馳(1853生-1929没)は、東京音楽学校の校長にも任じられていて、
これは音饗学の専門家として赴任したわけだ。彼の専門はもともと音響学だ。
ちなみに寺田寅彦(1878生-1935没)の学位論文のテーマも 『尺八の音響学的研究』 だ。

 この頃は西欧でも日本でも音響学は物理学の中心テーマだったのだな。