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暑~い  & 涼やかな青いオサカナの話

東京大学なう。 陽向に出たら溶けそう

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大学院のころ、母校にTという講師が着任してきた。
20代から、海外の大学で講師をしていたそうで、とても魅力的な講義をする人だった――と、(今になって)思う。

Tは見掛けがえらく若かったから、我々は彼を博士課程に編入してきた奴だと思い込んだ。
卒研発表や、輪講時に最前列で、変化球風で答えにくい質問を連発する様子に、
「生意気な大学院生がうちの研究室の4年生を苛めている」と思ったのは、
そもそも輪講に遅刻していって、彼の自己紹介を聞かなかった我々が悪かったのだが。

そうやって作られてしまった反感を簡単に払拭することはできず、
「T教授」でも「T先生」でもなく、「T」と呼び捨てにしていた。

Tにしてみれば、「なんて態度の悪い学生たちなんだ!」だったのではないだろうか。

                                 

ネットで、Tの文章を読んだことがある。
頭が良くて、クリアーで潔い。賛成・反対がはっきりしていて、歯に絹を着せないから反感を買うこともありそうだ。
なんとなく、村上ファンドの村上とか、ライブドアホリエモンに似たイメージがあるかもしれない。
彼らとの違いは、彼らが何かを壊したり否定したりして頭角を現したのに対し、
Tは完全オリジナルで、何を否定するでもなかったこと、
堀江たちのポジションに成り代わりたがる連中がいたり、
彼ら自身が暴走したせいで、足を引っ張る連中がたくさんいたのに対し、
Tはゆるーい母校の教授たちの中で、比較的反感を買わずにに自分の研究が進められたことだ、と、思う。

もちろん、Tは不正に繋がるようなことはしない。

Tのご両親とも大学の先生で、ある意味サラブレッドというか、
まあ、暴走しているようで、場を心得ていたのだ、と(今となっては)思う。


   転がる石には苔がつかない。 =>> 転職ばかりしてる人は、実力がつかないよ。
   水清ければ魚、住まず。 =>> 何から何までクリアにしても、居心地悪いだけだよ。

双方とも、日本の社会では上記の意味のものとして、よく使われる言葉だが、
Tが真っ向から反対していた記事があった。

   研究者には、遠慮と先入観に繋がるコケやシガラミなど、つかないほうがいい、
   濁った水の底の、どろりと動きの遅いオレンジ色の魚であるより、
   研究者ならば清流の中の青い魚であるべきだ。

ビジュアル系の文章だったからかな。
私は魚嫌いの癖に、何度もこの青い魚のことを思い出した。
意に染まない論文を書いたり、職場の水が濁ったりした時に。

                                 


直近の何年かの間、神経質なくらいフェアで、頑固に不正が嫌いで、目的意識ばかり高いボスの下で働いた。
ものすごく水の透明度が高くて、私個人としては居心地のいい思いをしていた。
でも、水が清いだけじゃなく、消毒液がバンバン入ったみたいな状態だったから、
死んじゃったお魚も少なからずいたようだ。 

時がたち、先日、ボスは引退し、交替して新しいボスが来た。

新しいボスは、いろんな省庁のシガラミや、コケを身にまとった人だった。
本来の意味のコケのように、研究資金という財産を集めるのはお上手そうだ。

でも、そのために、コネクションを使い、いろいろと研究内容や人事配置を操作する。
研究者が当たり前のように考える範囲では、先が読めない。
見通しが利かない。
水の底付近にいたオレンジ色の魚たちが、浮き上がってきて幅を利かせはじめるのか、
今はまだわからないが、少なくとも ……水の透明感は消えた。

消毒液なボスが来る前の研究所は、濁ってるなんてレベルじゃなかったから、
就職したころの私は、濁った水の中をどうにかこうにか泳いでいたはずだ。

どうしよう―――― 濁った水の中の泳ぎ方を、忘れちゃったよ。


オレンジ色の魚と、青い魚を連想したので、久しぶりに名前を検索し、Tのツイッターを見つける。
言葉の端々が少しだけ丸くなって、でも、相変わらず、中身はとんがったTだった。
変わらない彼を懐かしく思い、変わらずに澄んだ環境をうらやましく思う。


ん~ どうしよう。