(函館)土方さんをストーカーしてみる
歴史音痴の母親から生まれた娘は、剣道が好きで、新撰組が好きで、中でも土方歳三が好きだ。
小学校の頃からずっと本など読んでいたようで、
だからバサラ(戦国ゲーム)や、歴史美形オタクの、にわか土方ファンが許せないらしいのだが、
私から見れば50歩100歩だ―――というか、50歩55歩くらいの違いしかないと思う。
そんな彼女が函館に来たかったのは、五稜郭を見るためだ。
ホテルは湯の川温泉なので、まあまあ五稜郭に近い。
小雨が降っていたので、タクシーで五稜郭タワーを目指した。
中は真新しくてきれいで、ふすまや障子で区切られているので、開け放てばとてつもなく広い空間になる。
江戸の末期に奉行所として作られ、たった4年で江戸時代の終了とともに役目を終えたところに、
戊辰戦争で旧幕府脱走軍(京都から来た土方含む)がやってきて彼らの拠点になった。
とはいえ、五稜郭に来て(10月)から函館戦争で亡くなる(翌年5月)まで、8ヶ月間。
土方たちは短い滞在だったのだな、と、思う。
(奉行所の建物も建設されて7年で解体されている。これも短い)
後に平成元年前後から発掘作業をはじめられ、残っている図面と照らし合わせながら
奉行所の復元作業を始めている。建立は2006年に着工で、2010年に完成したそうだ。
木材を組み合わせ、針を吊り上げ、釘をあまり打たずに作る旧工法や、
(今は温度が均一で同色になるので)当時の色ムラを出すのが大変だったという瓦焼きや
その復元工程のビデオも面白かった。
そういうわけで次は五稜郭タワーに行く。
真新しくて、きれいで、夕張メロンジュースがおいしい。
土方歳三の銅像が作られていて、ツーショット写真をとっていく人が多い。
タワーに上ってみる。なるほど、こうしてみないと全貌は見渡せない。
国土地理院の立体視用の写真があったので、貼り付けておく。
この写真だと、中央の奉行所がまだ復元されていない。
さて、次は半島の先の碧血碑というところに向かう。
五稜郭公園前から函館市電(路面電車)に乗り込み、終点の谷地頭まで行く(最後の地図参照)。
谷地頭温泉は、昔噴火した函館山の熱くて鉄分の多い温泉だそうだが、
函館山ロープウェーの裏側に当たるので、ほとんど乗り降りする客がいない。
谷地頭の駅から、緩やかな坂を上って、まずは函館八幡宮まで行く。
函館戦争時の旧幕府軍の戦死者を記念する慰霊碑。
土方歳三や中島三郎助などをはじめとする約800人の戦死者を弔っている。
(賊軍の慰霊は行ってはいけないはずだったのに、遺体が集められたいきさつはwikiに詳しい)
誰もいない。ガイドブックにもあまり情報は出ていないし、かなりマニアックなスポットなのかも。
たくさん撮影したのにピンボケが多かったとか、検索してみたら心霊スポットだったとか、いろいろあるが
それは、函館戦争でロシアと戦ってたなんて思っていたママが悪い、と、娘に言われた。
翌日、函館駅まで送ってくれたタクシーの運転手さんに、
「碧血碑行ったの? 山道歩くし、異様な雰囲気だったでしょ、あまり観光客は行かないよ」
「確かに人はいませんでした。娘が土方さんファンなので、向かったのですが」
「じゃあ、「土方歳三最後の地碑」も行ったかな? 函館駅の近くだけど」
「それ、場所がわかんなかったんです!」
というわけで、「土方歳三最後の地碑」に寄ってもらう。
一本木関門跡に近い若松緑地公園の中にある、という表記だが、
総合福祉センターの敷地の中で、駐車場にくっついているような形で、存在する。
昔はこっちにあったんだよ、と、一本木関門跡の空き地も教えてもらった。
*北海道のタクシーの運転手さんたちは、観光地であることを割り引いても、
とても親切で、ガイドブック以上にこの地を知っている様子だった*
娘は日野の土方歳三の生家&記念館にも幾度となく行っている。
追っかけというか、ストーカーだなあ、と思う。
もっとも、彼の最後の地の碑には、花が絶えることがないそうで、
ファンは娘だけじゃないんだなあ、と、思う。
(ま、私もオスカーワイルドの墓参りに行ってきた。好みの偉人の墓参りは、したくなるものらしい)
五稜郭などの位置関係は、こんな感じです。
小学校の頃からずっと本など読んでいたようで、
だからバサラ(戦国ゲーム)や、歴史美形オタクの、にわか土方ファンが許せないらしいのだが、
私から見れば50歩100歩だ―――というか、50歩55歩くらいの違いしかないと思う。
そんな彼女が函館に来たかったのは、五稜郭を見るためだ。
ホテルは湯の川温泉なので、まあまあ五稜郭に近い。
小雨が降っていたので、タクシーで五稜郭タワーを目指した。
まずは五稜郭。
タワーに上る前に、まずは星型の城(?)に入ることにする。
あいにくの小雨だが、中国人観光客で賑わっている。どこで出くわしてもパワーがすごい。
団体客が抜けたところで、あわてて娘の写真を撮った。
タワーに上る前に、まずは星型の城(?)に入ることにする。
あいにくの小雨だが、中国人観光客で賑わっている。どこで出くわしてもパワーがすごい。
団体客が抜けたところで、あわてて娘の写真を撮った。
中は真新しくてきれいで、ふすまや障子で区切られているので、開け放てばとてつもなく広い空間になる。
江戸の末期に奉行所として作られ、たった4年で江戸時代の終了とともに役目を終えたところに、
戊辰戦争で旧幕府脱走軍(京都から来た土方含む)がやってきて彼らの拠点になった。
とはいえ、五稜郭に来て(10月)から函館戦争で亡くなる(翌年5月)まで、8ヶ月間。
土方たちは短い滞在だったのだな、と、思う。
(奉行所の建物も建設されて7年で解体されている。これも短い)
後に平成元年前後から発掘作業をはじめられ、残っている図面と照らし合わせながら
奉行所の復元作業を始めている。建立は2006年に着工で、2010年に完成したそうだ。
木材を組み合わせ、針を吊り上げ、釘をあまり打たずに作る旧工法や、
(今は温度が均一で同色になるので)当時の色ムラを出すのが大変だったという瓦焼きや
その復元工程のビデオも面白かった。
そういうわけで次は五稜郭タワーに行く。
真新しくて、きれいで、夕張メロンジュースがおいしい。
土方歳三の銅像が作られていて、ツーショット写真をとっていく人が多い。
タワーに上ってみる。なるほど、こうしてみないと全貌は見渡せない。
国土地理院の立体視用の写真があったので、貼り付けておく。
この写真だと、中央の奉行所がまだ復元されていない。
さて、次は半島の先の碧血碑というところに向かう。
五稜郭公園前から函館市電(路面電車)に乗り込み、終点の谷地頭まで行く(最後の地図参照)。
谷地頭温泉は、昔噴火した函館山の熱くて鉄分の多い温泉だそうだが、
函館山ロープウェーの裏側に当たるので、ほとんど乗り降りする客がいない。
谷地頭の駅から、緩やかな坂を上って、まずは函館八幡宮まで行く。
函館戦争時の旧幕府軍の戦死者を記念する慰霊碑。
土方歳三や中島三郎助などをはじめとする約800人の戦死者を弔っている。
(賊軍の慰霊は行ってはいけないはずだったのに、遺体が集められたいきさつはwikiに詳しい)
誰もいない。ガイドブックにもあまり情報は出ていないし、かなりマニアックなスポットなのかも。
たくさん撮影したのにピンボケが多かったとか、検索してみたら心霊スポットだったとか、いろいろあるが
それは、函館戦争でロシアと戦ってたなんて思っていたママが悪い、と、娘に言われた。
翌日、函館駅まで送ってくれたタクシーの運転手さんに、
「碧血碑行ったの? 山道歩くし、異様な雰囲気だったでしょ、あまり観光客は行かないよ」
「確かに人はいませんでした。娘が土方さんファンなので、向かったのですが」
「じゃあ、「土方歳三最後の地碑」も行ったかな? 函館駅の近くだけど」
「それ、場所がわかんなかったんです!」
というわけで、「土方歳三最後の地碑」に寄ってもらう。
一本木関門跡に近い若松緑地公園の中にある、という表記だが、
総合福祉センターの敷地の中で、駐車場にくっついているような形で、存在する。
昔はこっちにあったんだよ、と、一本木関門跡の空き地も教えてもらった。
*北海道のタクシーの運転手さんたちは、観光地であることを割り引いても、
とても親切で、ガイドブック以上にこの地を知っている様子だった*
娘は日野の土方歳三の生家&記念館にも幾度となく行っている。
追っかけというか、ストーカーだなあ、と思う。
もっとも、彼の最後の地の碑には、花が絶えることがないそうで、
ファンは娘だけじゃないんだなあ、と、思う。
(ま、私もオスカーワイルドの墓参りに行ってきた。好みの偉人の墓参りは、したくなるものらしい)
五稜郭などの位置関係は、こんな感じです。