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実家と和箪笥の話

少々ブラックなので、家族トラウマなどある人はスルー願います。

私は義理母とはとても仲がいいが、その分、実母とはうまくいっていない。
実母や実父は、それなりの名家で育ったので、結婚後もそれぞれの実家を引きずって、仲が悪かった。
仲が悪くても、名家と名家の結びつきのリンカー部分になっているので離婚することは許されず、
しかも、それぞれの実家は当然、「各家の利益のため」などとは言わず、
離婚させない言い訳として使うのは

「片親になったら子供がかわいそうでしょ」というものだった。

     「そーじゃねぇだろ、次の選挙のためだろ」、  と、JC時代の私はグレたりもしたが、

名目だけの会社経営者で、親に逆らうなどできない私の両親は、
「社長としても親として立派な俺」、
「子供のために我慢している健気な私」 という自己弁護で
「実家に逆らったら生活費すら危うい」 という不安を摩り替えたのだと思う。

その上、あまり賢い人たちではなかったので(←二人とも私よりいい大学を出ているので暴言なのはわかっているが)、
いつの間にか 「誰のせいで離婚できないと思ってるの!?」 と、八つ当たりまでされた。


私は親を憎んだり嫌っているわけではない。
が、両親ともそんな状態で、面倒を見てくれてるのがお手伝いさん&家庭教師では、ろくな子供は育たない。
私も実弟も、あまりよい学生ではなかったし、成長してからは家に寄り付かなかったと思う。

それでも、我々が結婚して子供を育てていられるのは、
母実家や父実家から距離をおくことができた海外生活中に、少しだけ家としての形が保たれたことと、
一人暮らしをする大学生になってから、他の学生たちの価値観を学ぶことができたからに他ならない。

大学生時代に親元を離れられたのはラッキーだと思う。

いろんな家族、いろんな経済状況のある家があると知ることができたのも、ラッキーだったと思う。
奨学金を貰っていた苦学生、途上国からの国費留学生、実家の倒産で大学院をやめていった友人もいた。

私たちと同じような、成金で不安定な家庭で幼少期を過ごし、
そのまま現在に至るまでよくわからないシングル生活をしている知人だって複数いるのだから。

そして―――仕方ないことなのかもしれないが、今や80を超えた親たちはなんら変わることはない。
実家が没落したりして、それまでの財産を切り売りして生活する自分の身をひたすら嘆くが、
いまさら自分で働くこともできない……
祖父母から私が貰う約束だった別荘地は、彼らがほとんど売ってしまったくせに、
自分の何を嘆くのだと思うが、
かかわりたくないので放置したままだ。



昨日、祖母の13回忌のために剣士娘を連れて実家を訪れた。
電話などは年1回くらいしていたものの(剣士娘にとってはお祖母ちゃんなので、もっと話したようだが)
顔を合わせるのは数年ぶり、実家を訪れるのは祖母の3回忌以来になる。

は昔から、私と実母の関係や、母親の実家の普通じゃなさを感じていて、
「ママのお母さんがママに変なことを言ったら、ママを守る」というミッションを自らに課している。
彼女が小学2年生の時に、私の祖母の葬儀があったのだが、
その時も、焼き場の炉の前で一人で泣く私に、黙って2時間寄り添っていた。
あのころから徹底していたのだと思う、
「ママはトイレだって」 「仕事の電話してる」 と、控え室にいる初見の親族たちをごまかし、
私に何を言うでもなく、そばにいた。

  「だって、ママ泣いてたし、放っておくわけいかないから」と聞いたのは、彼女が6年生の時か。
  ただ、(彼女にとっての曾祖母の)葬式の日のことは、今は覚えていないらしい。



今回、祖母の13回忌に出席しようかどうしようか、と話していたら、一緒に行く、と言い出した。
その後、実母と話したくないは私に変わって、法事の開始時間や場所を問い合わせていた。

実母宅には、料亭に貸しているという祖母宅から、和箪笥が三棹、運び込まれていた。
戦前(WWIIの前)からあったという箪笥で、祖母宅にそれが置かれていたころのことを覚えている。
両親が離婚できなかった理由は祖母のせいもあるから、文句がなかったとはいえないが、
それでも祖母のことは大好きだったし、懐かしかった。
そのうちのひとつがからくり箪笥になっていることも、私は知っている。

和のものが好きで、「くれるって言うのに貰わなかったらもったいない」という超庶民派の娘は、
箪笥やその中の反物の山を見て、目をキラッキラさせていた。
もともと、着物を貰う約束で実家(実母の住む家)に寄ることになったのだが、
もしかすると、実家に行きたがらない私を、無理に連れて行く口実だったのかもしれない。
和箪笥を二つ(もちろん中身もろとも)と、6桁後半の価格のアクセサリーも貰っていたから、
自分の利益もかねているのだろうが。

……って、和箪笥どこに置くんだよ、下宿に置けるわけはないし、我が家はマンションなのだが?
それに和箪笥の磨きなおし、って一棹10万円以上かかるんだよ?

 「いいじゃん、ママ、欲しかったんでしょ?」

懐かしそうにしたのが、そう見えたのか……いや、欲しかったのかな、私。
関係のよくない親に対する感情は複雑で、いまだにクリアできないし、割り切れてもいないのだ。


剣士娘は勉強ができない。
寝坊して遅刻したり、だらしないところも目立つ。
だが、今回のことに限らず、人付き合いに関しては妙に大人だ。

それが長らく剣道部の部長をしていたためか(注1)、ハムスターを飼っていたからか、
ベビーシッターがよい人だったからかわからない。
私が娘みたいな性格だったら、自分の親とももっとうまくやっていけたかなあ……と、考える。
自分が折れて親自体が変わってくれるように働きかけるとか、フォローするとか、
自分の実家の環境を、愛情を持って変える努力はまったくしなかったな。


ま。考えてもしょうがないけれど。


(注1: 中高一貫の私立女子高の剣道部で、中2の終わりに上級生(高校生)たちとぶつかり、
     練習メニューの取り決めなど、年上が仕切るべきか、強い人が仕切るべきか、と揉めて、
     部員全員の前で上級生を討ち取って部長になった……らしい。
     学校のほかに地元警察の警察剣道や、他の学校へ一人で混ざっての合同練習もしていたから、
     多少は自信があったのかもしれないし、気の強さは私の遺伝だろうと思うが、
     そういうわけで中2から高3の夏まで長らく母校の剣道部を仕切っていた。
     部長というのは強いだけではなくて、面倒見のよさがなくてはいけないのだが
     面倒見は後付でよくなっていったのではないかと思う。 
     立場が人を成長させる典型だったんじゃないかな。

     
それにしても箪笥、どこに置こう。