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大学教育に関するちょっとした疑問

毒をこめているつもりはないのだが、結果的に毒入りっぽいので内緒にしておこう。

剣士娘(大学3年生)は文系の学部に通っていて、社会学系のゼミを受けている。
最も興味があったのは歴史だが、その学部には進めなかった、というよりも
単に知りたいから研究する、という日本史を学ぶ学部が、(彼女の学力範囲で)なかったからだ。


<大学教員の教え方の問題と実力>

 が大学から持ち帰った課題や資料のプリントを、読むとはなく読んだことがあるのだが、
何を言いたいのか、単なる情報の羅列なのかわからないことがあった。
内容が難しいのではなく、文章がわかりにくくて駄目なのだ。
「難解な表現にしなくては、格が低く思われる」、と、考える教員がいるのは知っているが、
これじゃ説明プリントとしてダメだろ。

 「あ――、でも、講義もそうだよ。Fランの大学教員は、文章も講義もわかりにくいんだ」

最近の学生が不幸なのは、自校の教員レベルやサービスを、容易に他校と比較できる所だろう。 
そしてそれが「自分はこの程度の教員の教育しか受けられない」、と嘆く理由になってしまう所だろう。
彼女は放送大学を受講しているが、放送大学の方がずっとわかりやすく、有益な講義だそうだ。
そして、放送大学教員の現職や元職は、いわゆるトップクラス帝大と、トップクラス私大がほとんどだ。

 「あたしら馬鹿な学生が、未熟な教授のわかりにくい授業を受けてさ、
基礎知識もあって利口な学生が、わかりやすい講義受けてどんどん知識増やして賢くなってさ、
大学にいる間に、もとからあった差がもっとず~~っと広がることになるんだよ」

う~ん。   (あー、でも、学部生は講義テクニックよりも、自分がやるかやらないかの差の方がデカイと思うよ
大学の教員採用の段階から、なるべくしてそうなってるからね。 (もちろん例外はいるんだけども
国立大学同士を比べるなら、地方に行くほど、ランクが低いほど、ローカル有力者のコネが効くようになるし、
トップクラスの大学のほうが、高い競争を制して教員に採用されている人が多いから、
いい講義、いい研究が出来る人が選ばれてる場合が多いんだよね。(もちろんこれも例外があるにしても


そういうわけで、ゼミ選びのときは、KAKENリストの見方や、教員の前職、webでそいつの報告書を拾う、
などなど、教員採用審査のチェック項目と同じような調査をさせて、
その中で、優秀そうな教員、気に入った教員のゼミを選ぶといい、と、助言した。

選ぶ余地がほとんどないと言っていたが、研究予算を獲得して研究論文を出しているその教員は、
彼女の大学のほかにも(客員の)籍を置いている大学や研究室があって、
ゼミや大学院の学生たちも、そちらとの共同研究にかかわるようだ。

自分のFラン大学で “例外的に” 講義がうまく研究内容が面白い教員を探しあてるのか、
自分のAクラス大学で “例外的に” 駄目な教員に当たってしまうのか、
確率を考えたら、どっちの大学にいるのが楽か明確だ。
でも、手間をかければ、いつでもそれなりの教育は受けられるんじゃないか、とも、思う。
それから、早いうち―――たとえば中学受験度か、大学受験とかのうちにがんばっておくのが、
最も手間のかからない生き方(?)だと思うんだけどね。

大学内で、大学院を選ぶために、彼女がやったのと同様の「教員の調査」をしていた学生はいたそうだ。
その一方で、「就職なんて運なのだから、学生の今のうちに遊んでおかないのはもったいない、馬鹿だ」
と主張してくる(ちょっかいを出してくる?)学生もいたそうだ。

 「主義主張じゃなくて、一緒に遊びに来る仲間がほしい、っていうだけの寂しがり屋のチャライ奴」 

と、口の悪い娘は一刀両断にしたが。
バブル学生だったは、研究内容は楽しそうなところを選んだけど、中身は↑並にチャラかったかったと思う



<何のために学ぶの? 何で学びたいの?>

私は大学で社会人向けの講座を行う場合がある。
社会人が、大学で行われている通常の講義を聴講しにくる場合もある。

後者のような講義を受講する社会人は、ついていくのが大変なようだ。
(すべての大学がそうしているかどうかわからないが)大学では、専門の講義が速やかに理解できるよう、
それより前の年に教養の教科を組む。
そして、教養の教員は、その先の専門を想定して講義の内容を作る。

たとえば、某大学理学部の一般教養の英語は、アイザックアシモフの書いた「数字の歴史」のテキストで、
1年の終わりには、数式を英語で読めるようになっていた。
+、-、×、÷、=、分数、通分、少数、右辺、左辺、平均、標準偏差……一般的なテキストでは出てこない。
また、数学でも、その後使う群論につながる講義などを行う。
専門で眼球の講義があるから、レンズと光の幾何光学の知識を、一般教養の物理学で教えておく……

 専門教科である講義を、社会人が学生に混じって受けるとなると、
その学校で行われたはずの一般教養の部分を、自力で準備しておかなければならないのだ。


一方、前者の社会人向けonlyの講座には、
リタイアした高齢者や、時間のある意識高い系の奥様が集まったりして、
その大学の一般教養受講歴がなくても受講できる、というのがデフォルトになっている。

社会人は別々の基礎知識を持っているのだろうが、個人で幅がありすぎるので、それを前提にはしない。
その結果、誰にでもわかる非常に簡単な、専門とはいえないような講義内容になりがちだ。
(教員の努力が足りないといえば足りない)

   学部学生の頃、運動力学の初めの頃の課題で「虫かごの中の昆虫の動きを考えて、レポートにまとめなさい」というのがあった。
ふざけた学生が、「ハエですか、カブトムシですか、蝶ですか?」という質問をしたえら、
「簡単なのでいいよ」との答えだった。
私は、飛び立つとき、・等速運動で飛んでいるとき、・曲がるとき その辺のことを考えればいいのかな、と、書いて出した。

とんでもなかった。
教授が求めていたのは、もっとずっと上のレポートだった。
たとえば飛んでいる時なら羽根の動きとその動きで動かされる気体の流れ、結果としての浮力を考慮する、
虫かごの中央なら反射風はないが端ならそれがある、昆虫の体は軽いので、空気抵抗の影響も大きいからそれも算出する、
空気抵抗の大きさは、羽根の表面の模様や、体表の毛で制御されていて……云々。  
確かに、蝶なんか選んだ日には何ページあっても足りない。

「中学生じゃないんだから、加速度だの等速運動だのでレポートを書いた気になってるんじゃない」 (不可ではなかった)
高校までで学んだこと、大学入試でチェックされたようなことをまとめて書いて何になる。
無重力で手足を動かしても重心の周りでバタバタなるだけだから、飛ぶときの下方向の力以外の重力効果も入ってくる、と。
レポート課題で採点されるより、そこで何を考えたかがその後の講義の吸収につながるわけだが―――

なお、この講義の知識を直接利用するのは、車会社と航空会社とスポーツメーカーと、その関連業界だ。
運転技能の良し悪しにも、多少はつながるかな。

 社会人向け講座で課題を出すと、それまでに自分が持っている知識を懇切丁寧に書いてくる方が多い。
その時点で間違っているのだが、課題をもらってから「調べる」「考える」ことが少ないのが彼らの特徴だ。
持っている知識やアイディアにご満悦で、どんなにすばらしいレポートを書いたか自慢しあうお年寄りもいる。
「調べること」、「新たに学ぶこと」が勉強なのだと伝えても、その真意を理解することは稀だし、
ましてレポートを書いた後に否定される部分が大学の学問なんだよ、と言っても不機嫌になるばかりだ。
オリジナリティと称して、自分の経験を書いてくる方もいるが、そんなのはブログででもやってくれ。

「いろんなことに興味を持つのが大切です」   ←棒読み
「新しいことを学ぶ姿勢を、いつまでも持つことはすばらしいです」  ←無表情で棒読み 


彼らの場合、知識がなくても、講義の単位が取れなくても、
「国家試験に受からない」、「就職できない」、あるいは「職場で無能」、となるわけではないから、
必死さなどはない。 (もっとも現役大学生だって、就職活動の直前まで必死さなどないけどね)

 どうにかして頭に知識を押しこんでやらなきゃならない、という教員側の義務感も生じにくい。
彼ら社会人学生が、満足して受講できるように、適度に褒め、ヨイショして、付き合っておく。

「だって、難しいこと教えても喜んでくれないし、将来それを使うわけでもないしね」

もちろん、資格をとって転職するなり、仕事に役立てるなりする目的で来る人もいるが、少数だ。
そういう少数派社会人学生は、通常の講義に入ってきて、普通に単位取得不可を食らったり
資格試験用の講義に入ってきて、予備校みたいにひたすら問題を解く。


生涯学習】【生涯教育】は確かに大切で、ほかの国でも盛んに行われているのだが、 
そこにどの程度、国費をかけるのかは、よくよく考えなきゃ行けないと思う。

趣味のお稽古となんら代わることのない意識で、大学の講座を受けるリタイア世代のいかに多いことか。
まして、社会を広くしたい、友人を増やしたい、という目的のために、
生涯学習の国費補助が出ていくのは、なんだかなあ、と思う。
調理師免許やライター養成など、新たな職を得るため、実社会で利用するために学ぶ人たちへの補助より、
趣味などの老人ライフの充実ために国費が出費されることになるのが、なんか納得いかないのだ。

そうそう、ひどい教員もいるんだよ。

週1くらいで外部研究員(無給)でいっている大学では、実験などでの学生指導をきっちりやるけど、
自分が雇用されているFランの講義では思いっきり気を抜いてる、っていうのがいるんだ。

「難しいこと教えても、この学校の学生はどうせわかりゃしないし、将来使いもしないだろうし」。

ばかやろう、お前程度の教員を採用してくれたFラン大学と、その学生に感謝しないか!  
給料をもらっているなら、その分きっちり仕事しろ! (私が雇ってるわけじゃないけど)

ついでに社会人講座を増やしているのは、少子化のせいで学生が減ると、教員が不要になっちゃうから、
彼らの仕事を作るために、生徒の幅を広げてる面もあるんだよね。
大学教育に国費をつぎ込むのは、そこの生徒が将来、国の発展に貢献するからという理由だったのに、
どんどんずれてるし、まして、文系学部が卒業後にその専門知識を活用することって、あまりないんだよね。
(法科などはあるかもしれないけど、法科大学院や専門の塾の方が近道みたいだ)


だ~から文系不要論なんて出ちゃうんだよ

http://news.livedoor.com/article/detail/9310435/ 
てか、ここで再び、文章が下手すぎて、何を言いたいのかわからない orz
わざと煙に巻くつもりがないのなら、相手に伝わる文章の書き方を学ぼうよ。