祭りと伝統とその変遷を、ほんのちょっとだけ考える
葛飾は今日も祭りだ。
朝、子供神輿は悪天候のため中止する、という放送が入っていたが、
大人が担ぐお神輿は出されたのかな。
大きな音でお囃子も鳴っている。
はっと気づいたら亀のサマーハウスのすぐ横を通る神輿の頭が見えた。音が大きいわけだ(苦笑)
ちなみに、昨日も近くの道を、こんな感じで子供神輿が練り歩いていたのだが、
飾り紐の色が違うから、別のお神輿なんだろうな。
ひとつ100万から500万円というお神輿だが、この近所にいったい何台あるのだろう?
私立の保育園(もともとは神社や寺が営業母体だったものもある)がお神輿を持っていることもあるし、
神社は複数持っているし、数が多いだけあっていろんなのが通る。
朝、子供神輿は悪天候のため中止する、という放送が入っていたが、
大人が担ぐお神輿は出されたのかな。
大きな音でお囃子も鳴っている。
はっと気づいたら亀のサマーハウスのすぐ横を通る神輿の頭が見えた。音が大きいわけだ(苦笑)
ちなみに、昨日も近くの道を、こんな感じで子供神輿が練り歩いていたのだが、
飾り紐の色が違うから、別のお神輿なんだろうな。
ひとつ100万から500万円というお神輿だが、この近所にいったい何台あるのだろう?
私立の保育園(もともとは神社や寺が営業母体だったものもある)がお神輿を持っていることもあるし、
神社は複数持っているし、数が多いだけあっていろんなのが通る。
お囃子の車も通る。車に和楽器と演奏者を乗せて、ゆっくりと神輿の前を走る。
大太鼓、小太鼓や当り鉦(あたりがね)など、この街に来てから知った楽器も多い。
演者はいつも子供たちだ。太鼓教室の子供たちが多いのかな。
(ブログなので顔を隠したが、皆すごく凛々しい顔で演奏している)
今日は外側にビニールがかけられて、代わりにマイクで音が増幅されていた。
ビニールの中、えらい音量なんじゃなかろうか。
昨日とは違う子供が太鼓を打っている。
昔はもちろん雨天決行で、雨の中で太鼓を叩いていたらしい。(革の傷みが早かったとか)
あるいは、雨の間は順延して、平日に祭りを行ったりもしたことがあったらしい。
でも、神輿やお囃子が通る間は、交通規制をしなければならないし、
今は遠方(横浜とか)から、神輿を担ぐために遠征してくる人もいる。
簡単に日程を変更することはできない。
加えて、神輿や太鼓が雨で傷むと、大きな出費がかかる、
小さな町内会の持っている太鼓では、修理費が出ない。
現代に祭りの文化をキープして、対応させていくには、いろいろと気遣いが必要なようだ。
昔の文化に対する気遣いといえば、(着るチャンスがそれほどないものの)私は和装が好きだ。
これもアレンジや変遷が盛んな文化の一つだろう、と思う。
呉服量販店の企業戦略や、着付け教室の乱立のせいで、
めんどくさくて格調高い着付け――ひとまず習わないと着れないような着方―――が正当とされる。
一方で、和装離れをどうにかしようと、楽な着付けや自由なコーディネートが出てくる。
大混乱してるなあ、と、思う。 (&混乱こそがファッションだとも思う)
友人(元学生~部下)の結婚式のときは、和装の人が多かった。
これは研究室関係者なので、黒過多だが、女性の60%は和服だったと思う。
仙台は東京よりも、和装文化が進んでるのかな。
わかりやすくても、横文字カラーの色無地って厭だな。時代の流れとか思いながらも、
その辺は偏屈なのかな、私。 でもピンクの着物――という表現は普通に使う人が多いか。
加えて遺憾ながら、着物の権威や着物を愛する人には年配~高齢女性が多く、おしなべて心が狭い。
自分の知っている知識と違う、と着物ポリスとなってちょっかいを出してくる人がいたり、
着物文化の乱れを嘆くあまり、我こそは正義、「着付けを直してあげる」と言って、他人の帯に手をかけたり。
この日も、仙台に向かう新幹線の中で、隣に来たおば様にずっとゴタクを聞かされていた。
着物を着ている人だと、話しやすいのか、話すきっかけになると思うのか―――う~ん。
私は知らない人に声をかけられるのは緊張するし、会話も好きでもないので煩わしいんだよね。
* なお、レストランなどでシェフや店員さんと話すのも(本音をいえば)苦手だ。
* 一緒に飲みに行く仕事仲間たちが、楽しそうに会話するのを尊敬して見ている。
* ただ場数だけは踏んでいるから、会話のきっかけを作って場を和ませるのは得意だし、
* だからこそ、知らない人との会話が苦痛だとは、誰にも気づいてもらえないんだけど。
その点、ブログで和装の話題を読むのはいいなあ、と、思う。
好きなだけ読んで、気に入らなければアクセスしなきゃいいのだし、
いろんな人のいろんな趣味に接することができるし。
普段着の着物を追求する方、アンティークがお好きな方、粋な着方をなさる方、きちっと上品にまとめる方。
和裁を習っている方も、自分で木綿の帯など作ってしまう、はっちゃけた方もいた。
呉服屋さんだっている。
それぞれ魅力的なのだが、週に何度も着るチャンスはない私は、
普段着でもなく、イベント用でもなく、という頻度で着ている方の着物を参考することが多かった。
それにどちらかというと、衣紋を抜いたイキだったり婀娜だったりする着方よりも、
紬や小紋であっても、すっと上品な着付ける姿を素敵だと思うことがわかった。
呉服屋さんのプロの着付けは別格として、
「着付けの師匠」 と、心の中で崇めていたブロガーさんが、ブログをやめてしまう、らしい。
生活環境が変わったり、お忙しくなったりと、ブログを続けられなくなる理由は誰にでもあるから、
「今までありがとうございました」 と、見送るしかない。
うん、好きだったんだよ…… 紬のコーディネート。
なんだか残念で、彼女が好きな大島紬をネットで眺めていたら…… 衝動買いしてた
しゃりっとした布はわずかな光沢があって、光の加減で青っぽくも白っぽくもなる。
確かに着易そうではあるけれど、どんな帯を合わせたらよいのだろうなあ……