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口が反応する、頭で回答する、菜の花なんて食ってやる

路上の花はまだ。 
でも、スーパーの野菜売り場と、花屋には、菜の花が増えた。


■口で反応する■


「ありがとう」、といわれれば、何も考えずに条件反射的に 「どういたしまして」と、答える。
ぶつかりそうになったら、「失礼」 とか、「すみません」 と、口から出る。
子供の頃、親に着物を着せられてパーティに連れ出され、「黙って笑っていなさい」と命じられた。
だから無意識会話に “Oh beautiful ♪” “すばらしいですね” “It's nice ! ” “I like it.” が口から出る。
動きや微笑みが伴うこともあるけど、考えて言ってるわけじゃない。

望むと望まざるとにかかわらず、子供の頃に習慣付けられちゃったもので、
だから、お国柄なんかもがよく出るのだと思う。
映画で、変装して逃げていた捕虜が、 電車でぶつかって 「Sorry」 と母国語を出してしまう。
ぶつかっても睨み付けるお国柄の人なら、捕まることも無かったのに、と、思う。

たとえば顔の前に障害物が来たときに目を閉じる脊椎反射――ほどのことではないにしても、
自分でどうこうできるものでもない。
レディーファーストの国では、自分も危険なのに女性に命綱を譲って死んでしまう男性がいたりする。
そうしないと、宗教的な強迫観念でもあるのかもしれない、と思う。もちろん本人は無意識で。


無条件反射の同意や賞賛の言葉は、時に、失礼に当たる。

でも、専門が違って、内容がよくわからない偉大な博士の講演など、
「素晴らしいご講演ですね」 以外になんていえばいい?


■頭で回答する■

それとは真逆に、私が頭で考える内容は辛らつだ。
もちろん、考えている分、その2手先、3手先を予想して、限りなく穏やかな受け答えをしたりもするが、
だいたいは相手との関係性で、何を口に出すかが決まる。
きちんとした社交辞令を口にしなければならない場合は、
だれでもこのレベルの喋りをしてるんだとも思う。

ほとんどの研究者はこの部分が得意で、
だから、配偶者や付き合っている相手に対しても、えらい勢いでいろいろ算段しつつ、会話を続けたりする。
その気になれば嫌われないのは得意だが、
こっちは楽しくない状況があったり、
社交辞令のわからない相手にストーカーされちゃったりも、無くは無い。

そういえば女の研究者で、嫁姑問題を抱えている人は、私の知る限り、とても少ない。
秘書さんたちや事務系女性に比べて、研究者はさばさばして、距離を保った付き合いがうまいのだと思う。
なんてか先まで考えて、うまく喋っているのだと思う。

希望は希望、データはデータと、
状況判断と感情を使い分けることに慣れているからかもしれない。


■心をこめて答える■

自分が言いたいことよりも、相手のためになる言葉を考えて伝える場合はある。
自分のことをわかって欲しくて、言葉を尽くす場合もある。

言葉の尽くし方と、伝わり方は無関係ではないから、
心だけではうまく話せないし、伝わらないし、だから時に頭が優先してしまうかもしれないが、
深く考え、自分の意思に従って会話をすることがある。

感情を話すことは、感情的に話す、という意味でない。
大げさに怒鳴ったり涙を流す意味でもない。

もちろん、コミュニケーションの得手不得手も、関係が無い。


■菜の花■

私はその人と話すとき、なぜか感情をむき出しにしやすかった。
言葉こそ丁寧にしていたが、「別分野の癖にわかった風な口聞くんじゃねえ」とか。
「だからなんだっていうんだ」 とか、「それは年寄りの発想だろ」 とか、心の中で罵声を飛ばしていた。
言葉が丁寧でも、会話中に肩をすくめたり、目を見開いて鼻で笑ったり、素直に聞かない態度は伝わる。 
そういう感情を伝えることに躊躇が無かった。

彼をはじめて見かけたとき、私は学生で、
自分の専門と違う有名な研究者の講演を、「どーでもいいや」 と聞き流しつつ、
司会の言葉に合わせて、会場の照明を消したり、質問者にマイクを運んだりしていた。(←学会アルバイトね)
言葉を交わすチャンスはあったけど、そういうわけで、
社交辞令の 「素晴らしいご講演ですね」 を言っただけだった。

次に見かけたのはどこかの国際会議で、初めて聞いたときよりは、彼の優秀さを実感できた。
だが英語圏の研究者を含む数人のディスカッション中には、自信満々で鼻持ちならない人だな、と思った。
それでもその後、同じ会議で見かければ言葉を交わすようになった。

大手企業の研究者で、ヨーロッパの国を転々としていた。
優秀な人だとは思う、ものすごく役に立つ助言をしてくれていたと思う、
でも、こっちが求めていないときに余計な指導などされたくなくて、
しかも、利害関係など無かったから、いつになっても 「ふんっ」 と思う感情は消せなかった。
助けられていることを認めたくなかった。

反発する私に、彼は厳しい、でも心のこもった、きちんとした助言をくれた。
一時期日本に戻っていたようだが、所属学会が違ったせいか、一度も顔を合わせなかった。


ちょうど10年くらい前だ。
「米国に行く、もう日本には帰らないだろうな」、と電話で聞いた。
その頃には、彼は研究者としては成功しているけど、プライベートは少し不幸な人なんだ、と伝え聞いていた。

バス停で電話を受けた私の目の前に、雑草みたいにたくさん、菜の花が揺れていた

外にいたから社交辞令的に 「お元気で」 とか何とか言った気がする。
ヨーロッパに比べて、私にとって米国は遠い。
研究者をやめちゃって、会社を米国に移してしまうなら、もう出会うことは無いだろうな、と思った。

その時の予測のとおり、それきり声を聞いていない。
ちょっと用があって電話をしたら、番号が変わっていた。 
              そうだよな、日本の携帯電話だもん、私が知ってた番号。


利害関係がなくて、学生指導みたいな職務でもなくて、
純粋に相手のために言葉を尽くすことは、私にはあるんだろうか。
条件反射としての礼儀や、前後左右の都合を考慮した会話ばかりになってないだろうか。

最後の電話のときに、「態度悪くて、申し訳ありませんでした」  と謝るべきだったかな。
いや、「これまでありがとうございました」 って言えばよかったかな。
反抗期が終わらないまま、別れてしまった―――


菜の花を見ると、思い出す。
仕事で悩むと、思い出す。
でも―――頼ろうとする自分は嫌いだ。

菜の花なんて、食ってやる。

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                                                    「にがっ......