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白いカーネーション

 
恩師の告別式に行ってきました。

お名前を検索すると、真空物理の歴史が出てくる方です。
これは、いつごろの写真なのだろう。
1920年生まれの恩師が、真ん中にいらっしゃいます。


何も分からない物理学科の学部学生だった私たちに、とても面倒見の良い先生だったけれど、
私は先生が優しいだけではなく、厳しい方だったことも知ってます。

たとえば私は、大学の学部の時と大学院とで所属する研究室が変わったのですが、
大学院を受験し合格するまで、
私の受験した研究室の教授が、自分の教え子だったということは、教えてくれませんでした。
         (だから、私は先生の弟子で、ついでに、孫弟子でもあるということになります)

  自分の恩師がつけてきた推薦書では、院の先生方も審査しにくかったでしょうし、
  私の緊張感も薄れてしまったでしょう。
  だから黙ってらしたのだと思います。

就職の時もそうです。
私がどの研究所を受けたのか知っていて、何もおっしゃいませんでした。
就職してしばらくしてから、上司に言われました。「君は富永先生の弟子だったのか!?」
なんでも、学会だか委員会の席で 「君んとこにうちの卒業生が行ってるから、よろしく」 と、
いきなり挨拶されたのだそうです。
この分野では神様のような教授でしたから、上司はとても驚いたそうです。

  入試の時も、就職試験の時も、知らん顔なさっていて、
  でも、実力でポジションをとれば、祝福して、後押ししてくれる。

  不要なコネは使うなよ ………いつも、そういうことだったのだと思います。

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お葬式を無宗教カラーになさりたいということで、昨日のお通夜も今日も、読経やご焼香はありません。
花の香りがするだけで、お線香の匂いもしません。
花も、菊ではなく、真っ白のカーネーション、百合、薄紫のトルコキキョウ、
                        それから淡い黄色と、明るいピンクのスイトピー。
先生の教えを受けたかつての学生が、順にエピソードを披露し、式場から笑いさえ上がるお葬式でした。
告別式などを新聞に掲示しなかったにもかかわらず、
式場に入りきれなかった人たちが、長い列を作って、順に先生にお別れをしなければならないくらいでした。

私は富永先生のおかげで、他の大学や研究所の有名な先生方と、知り合いになることができました。
同じ先生のご教授を受けたことで、兄弟弟子のような扱いをしていただけることもありました。
性別や、出身校や、そういったマイナス要因がたくさんあるにもかかわらず
私が不当に扱われなかった理由には、先生の七光があったかもしれないと思います。

豪放磊落で、でも、とても神経が細やか。
身内への愛情が強くて、でも、不正はしない。
        バランスをとっていくのは、いつも難しいと思います。
これからも、研究室の閥や、コネを、すべて消せるとは思いません。
それに私だって、自分の学生は、やっぱり応援したいと思います。
年々、知り合いが増えると、つい、過剰な口利きをしてやりたくなってしまったりもします。

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ご焼香の代わりに白いカーネーションを一輪づつ
献花しました。
  
 
 
先生の教えを、どれだけ
守っていけるかわかりませんが、
先生に叱られないよう、
   バランスを取りながら
これからの研究生活を続けていきたいと思います。