ギュスターブ=モローと、帯と。
ルーさんのブログで、ギュスターブ=モローの美術展があると知って、行ってきた。
ルオーとモローの書簡などが展示してあり、この時代の人の筆記体は綺麗だな、と、思う。
カリグラフではないが、彼らには当然、その素養もあったのではないかと思う。
ウィリアム・モリスとの時代関係は、どうなっていたっけ、などと考える。
だが、残念ながら、このミュージアム、観賞エリアが狭い。
モローの絵は(いやモローだけではない)、少し距離を置いて見たほうが、美しいものが多い。
F5以下になれば壁に張り付いて観るのもありだが、大きな作品は3,4メートル下がって観たい。
その下がるスペースがない。
ツアーっぽい一団が来て、混んでいたせいもあるとは思うのだが残念だった。
残念だった理由のもう一つは、このツアーの人達が、良く喋りかけてくることだ。
二人連れのお婆さんを振り切ったと思ったら、次は初老の男性がしゃべりかけてくる。
男性はいろいろ解説してくれようとするが、迷惑だ。
立ち止まってやり過ごそうと思っても、一緒に立ち止ってまた話す。
小声でゴタクをあれこれ話しながら、美術品を見るという見方もあるのかもしれないが、私は違う。
「一人で観たいので」、と、振り切り、しばらくは離れたが…… 出口に近いショップのところでまた寄ってきた。
実は私は、知らない他人に声をかけられるのが苦手だ。
同僚や友人は「何を言う」と、驚くかもしれないが、私が得意なのは、知らない他人に声を“かける”方だ。
声をかけて何かを聞く必要のある時は、何人かの中から話がしやすそうな人を選ぶ。
いっぽう、声をかけられる場合は選べない、だから苦手なのだ。
にもかかわらず、美術館でやたらに声をかけられたり追い掛け回されたりするのはどうしたことだろう。
よほどヒマに見えるのか、トロそうに見えるのか。
いや、相手からは私が話がしやすそうに思われるのか。(何の用があるんだよっ)
海外で見知らぬ人と言葉を交わすのはいい、一言二言にこやかに話して、それで終わるから。
だが、日本で声をかけてきた人に普通に応答すると、くっ付いてきてしまう。
くっ付いてきた挙句、この後食事でも、お茶でも、なんて話にされてしまう。
断っても連絡先を聞かれる。 「いえいえ、ご縁があったら~」 と逃げるが、相手は不愉快そうにする。
下心などあってもなくてもどうでもいいが、私は人懐っこい人が苦手なのだろう。
男性は、ショップで私が手に取ろうとした本を、横からひょいと取り上げて、また解説をし始めたから
「邪魔ばかりしないでください。何か恨みでもあるんですか?」 と、周りの人に聞こえるように断った。
その場だけ見た人は、きつい女だと思ったろうな
ううう、娘か息子を連れてくればよかった。(彼らがいれば、都合の良い人除けになる)
気分直しに上野の西洋美術館に置いてあるのモロー作品、『牢獄のサロメ』を見に行こうかとも思ったのだが、
下手に美術館に行って、また何かあったらキレるな、と、ショッピングに切り替えることにする。
ショッピングは子供がいるとのんびり選ぶことができないので、一人の時がチャンスだ。
この黒い方の着物に締める帯を探している。
せっかく遊び着なのだから、もう少しおもしろげなのを選びたい。
いったんもめんさんのブログで、鳥獣戯画の襦袢を見かけて、欲しくなっているし、
鳥獣戯画の帯も見かけたことがあるのだ。
その時は悩んだ挙句、骰子柄の方を選んだが、両方購入しておけばよかった。
鳥獣戯画に限ったことではないが、遊び心がある感じの帯が欲しいのだ。
適度にやわらかくて、いい帯(=面白い帯)びないかなあ。
なお、(帯揚げが出ちゃってるが)、隣のロシア人のお姉さんが着ているのは
私が20前後でお茶をやってたころに、さかんに着ていた着物だ。
こうして見ると、そんなに若作りでもなく、今でもいけるかなあ……と。 ←やめとけ。
3,4軒回ったが、これ、というのに出会えず、なんだか欲求不満。
ダヤンの新しい絵本が出ていたので、それを購入して帰る。
明日から、学会だから、もっと羽を伸ばしたかった(=衝動買いなのか)んだけどなあ。
………この次は料理記事かな