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読書録 『文明怪化』

集英社文庫 高橋克彦 完四郎広目手控 『文明怪化』 読了
 
広目屋シリーズの第4弾である。
第一巻の江戸の幕末から、東海道、開国(江戸?)、明治の世(東京) と、シリーズが続いているらしい。
既読の1巻、2巻の基本は、ホイチョイ電通のような広告屋・仕掛け屋……つまり瓦版屋達が行う謎解きで、
それはそれは痛快で、時にコンゲーム風、時にホラー風、時に名探偵コナンみたいな…… いや、
金銭に追われることもなければ、正義の味方でもなく、かといって反体制というわけでもない様子が、
なんというか、とても、現代っぽいのだ。  ←気が付いたら無意味に長文だけど、まあいいや
 
第3弾の開国前後の話を読んでいないので、いつからこういう作風に変わったのかわからないが、
痛快さと美術談義を期待して読み始めたので、肩透かしを食ってしまった。
痛快さが、ない………いや、おもしろくないわけではない。
これまでのゲーム性や、痛快さが減じられ、元々わずかにあった苦みが強調されたということだ。
 
話は日本を離れて渡米し、新聞について学んでいた完四郎が帰国するところから始まる。
仮名垣魯文は成功して大物作家になり、講演を行ったり記事を書いたりしている。
この時代、新聞記事にわかりやすい絵をつけた、新聞錦絵というものが普及している。
1巻から登場していた浮世絵画家の芳幾は東京日日新聞(後の毎日新聞)、新聞錦絵の画家となり、
彼の弟子の芳年も報知新聞の新聞錦絵の画家になっている。
新聞錦絵のライター達も、実在の人物をモデルに使っているようだ。
 
その新聞錦絵の絵と、ほんの少しの説明記事から、完四郎が謎解きをする、という
ある意味アクロバティックな持っていきかたの推理小説なのだが、 
非常に説得力があって、ついつい読まされてしまうのはやはりこの作者の力量なのか。
 
その中で………
たとえば、この絵(東京日々新聞錦絵↓)も、謎解きネタの一つにはなっているのだが。
 
イメージ 1
 
新聞の本文には短刀となっているにもかかわらず、女の口に刺されているのは長い真剣である。
 
完四郎は 「絵が派手になるからといって、こういう嘘を描いてはいけない」、という。
浮世絵出身の芳幾は、「絵として派手にするためだ」、と、いう。
 
江戸時代には、実在の事件をネタにした戯作がたくさん作られて、上演されていたが、
瓦版は戯作ではなかったのと同様、新聞も嘘を描いてはいけない。
無意味に派手にしてはいけない。 
老婆を若い美人にすりかえてもいけない……はずだ。 
常連メンバーの小さな言い合いは、そのまま現在の報道の在り方を皮肉っているようにも見える。
 
痛快感が無かったので、シリーズこれまでのものに比べて気に入らず、
一話ごとの感想は控えるが、『死人薬』 は、文章以上に怖かった。 ←どんでん返し(?)がある。
 
       文明開化となって、古くからの呪術や迷信を否定していってしまったら、
       迷信に囚われ、恨みを持って死んだ人間は、何処に化けて出ればいいというのだろうね
 
幕末から明治という、理不尽でほの暗い時代を反映してか、
完四郎が謎解きしても、魯文が茶化しても、物語全体が重く、暗い。
シリーズ一巻でも、完四郎はその後、新撰組に入る若者に会っているのだが、
この作品でもまた、新撰組彰義隊にいたという人間たちが出てくる。
いずれにしても、明るい話にはつながらない。
とはいえ最終話では、薩長でも徳川でもない、独立した警察組織に希望を抱けるように終わらせている。
 
時代小説ならば時代背景に従って、気楽な若者達が憂いのある中年男に変わるのも仕方ないのか。
そう考えると、全力でお勧めではないけれど、面白いことは面白いです。