ブログ引越し検討中 (仮住まい)

yahooブログからの引越しを検討中です。現在テスト使用中。

掌の平穏

昨日、「木下是雄先生を偲ぶ会」でお会いした出版社の方たちが、

   「木下先生は連載期間の3年間、毎回必ず締め切り前に原稿を出してくださった。文系の先生方と違って   理系の方たちは数字にきちんとしているのだと感謝した」

と、お話しされていた。

   。o O *1 ←ダメな理系

と、いうわけで今、先週の金曜日までに伸ばしてもらったはずの原稿書きをしている。



お抹茶BOYは朝は中学受験の予備校に行って、午後はバスケの試合。
心臓も完治して自由に動けるようになって、(&親の言うことをちゃんと聞かなくなって)
ついでにたくさん食べるようになった彼は、日々忙しそうだ。

イメージ 1
量があれば嬉しかった剣士に比較して、色取がいいのが好きなのお弁当は大変。



「偲ぶ会」の講演会に、学習院で同期だった友人も来ていた。
大手企業の、仙台の先の海岸にある研究室にいる彼は、311の震災で被災した一人だ。
震災後に何度も会っていたけれど、毎回、私の学生がいたり、彼の部下がいたり、
パーティ会場だったりとあわただしく、二人きりで話したことはない。
昨日は帰りの電車で一緒になって、仕事がらみの話題から、いろいろ話し込んだ。

このところ、東北大のコインランドリーで試作機を作っていたのだそうだ。
でも、それでは足りないので、うちの研究所の装置を使うために会社-研究所間でやり取りをしていて、
いずれ、つくばに行くことになりそうだから、よろしく、と。

 「え、でも、あなたの会社、リエちゃん(←Reactive Ion Etching machine)購入してなかったっけ?」
 「RIEちゃんは、津波で流されて行きました…… で、簡単に買い直せるもんでもないしな」
 「あれ? 駐車場の車を流されただけで、会社は怪我人なし、って言ってなかった?」
 「社員はね…… でも、装置類はパーだよ」

彼のことは、震災当日のブログにも「まだ連絡が取れない」と心配して書いていたのだが、
数日後に無事の知らせを聞いて、それ以降は安心しきっていた。

聞けば、地震の後に一階に集まっていた社員たちは、
津波が来るという連絡で、(出入り業者の人たちも含めて)、全員でぞろぞろと上階に移動したのだそうだ。
自宅と連絡が取れないとか、ニュースを見ようとするとか、それぞれがバタバタとやっていて、
ふと外を見ると海水が2階の高さまで来ていて、車がたくさん流れていた、と。 (←この時点でRIEちゃん水没)

水はとても静かで、余震に比べて衝撃もなく、本当にゆっくり静かに上がってきていたそうだ。
水の動きは、人間が走ったら無理かもしれないけど、自転車で逃げれば逃げ切れそうなスピードで、
そこに高い建物があれば、階段を上がっても助かりそうな気がした、と、言っていた。

が……

私も彼らの会社を見学したことがあるが、建物のまわりに高い鉄柵の塀がめぐらされていた。

その鉄柵に、津波で内陸から流されてきた車が、たくさん引っかかっていたのだそうだ。
津波が来て、引いて、また来て、引いて、と、浮かんだ車が行ったり来たり。
そして車の中や、浮かんだ車の屋根にしがみついた人がいる。(参考
だから、社員や先に逃げてきた人は無事だったけど、会社の敷地で亡くなった人はいたんだ―――と。

上階や屋上に上がっていた彼ら社員は、
ポリタンクを浮き代わりにし、ロープをつけて海に入り、流れてきた人を引っ張り上げようとしたそうだ。

 「何人かは引き上げたけど、全員は助けられなかった」 と、言っていた。

 「俺らが助けられないと、確実に死んじゃうわけじゃん? みんなでロープ引っ張って、
   サッカー部の奴らなんて、海に浮いた重油でベタベタになりながら、泳いで助けた」 と、言っていた。

そうか……救助されて無事だったとか、怪我人がなかったとか、そういう報道で安心していたけれど、
心や記憶が無傷なはずがないんだよね。

会社に避難して助かったという地元の人の人数には、彼らが必死で引き揚げた人も含まれるのだろう。
いつもの口調で淡々と話していたけれど、目の前で溺れている人がいて――さぞ助けたかっただろうな、と思う。
日本は次々に災害があり、ともすれば東北の震災(原発問題以外)も普段の生活からは薄れがちだ。
久しぶりに、あの時の衝撃を思い出した。



彼の会社は、研究部門を縮小し、(実質的な)リストラを繰り返して、どうにか持ちこたえている。
アベノミクス効果で株価は上がったが、それ以前がどん底だったからね、と、は言う。
日本企業に研究開発の環境を作る余力がないのなら、
環境だけは提供するのが、大学人や国立研究所の使命であり、存在理由なのかな、と、そんなことを考えた。



そういえば、数年前、ネパール出身の同僚がいた。
現在は英国在住だが、ネパールにはまだ親御さんがいるはずだから、さぞ心配しているだろう。
木下先生も、登山やトレッキングで何度もネパールを訪れていたから、ご存命なら心を砕いてらしたに違いない。
『偲ぶ会』の参加費残金は、ネパールへの義捐金にすることになった。

*1:ケンカ売ってるんっすか? その几帳面さは“木下先生だから” なんですってば