絵画あるいは芸術品におけるXX的なものとXXの違い
『暗殺教室』の殺せんせーをはじめてみたとき、
Banksy の微笑む死神みたいだと思った。
バンクシーというのは、英国で活動する覆面芸術家で、
社会風刺性の高いストリートアート(落書き)を世界各地に描いている人だ。
マスメディアには現れない民衆の気持ちを代弁しているようなのに、
パフォーマンスが反社会的なので、芸術テロリストと呼ばれる。
皮肉で毒が強く、「目ぇ背けんじゃねーよ」 という脅迫を感じる。
表現方法こそ違うが、何年か前ペールラシェーズで墓を見つけたアルマンと、私は同じくくりに入れている。
この死神は、mixi でブログを書いていた時にしばらくアイコンに使ったのだが、
社会風刺イラストの好きな人、あるいは政治的な主張のある人たちから、
「Banksy 好きなんですか?」 と、問い合わせられることがあって、めんどくさくなってやめた。
私はBanksy 以外の Banksy を目指したような反社会的イラストには興味がない。
社会問題を耳にすれば、思うことがなくはないが、声を出していくことはしない。
社会問題を論じるには情報が必要だし、自分の知っているだけのプアな情報量では、
どちらとも主張できないと思うからだ。
「自己主張をしないのはけしからん」、と外国かぶれの日本人にいわれることもあるが、
AかBかを選ぶときに、51対49でもAであると答える人と、
3分の2以上の賛成がないと可決できない決議みたいな考え方の人がいる。
「Gefallen. Über 60%.Ich habe die Antwort nicht entschieden」
みたいに、はっきり告げられれば問題がない。
そして自分の中で3分の2の合意がなされたら、もう、バンクシーになる必要もない、
正々堂々と、正攻法で主張を通す活動をすればいい――
ステンシルを利用して、スプレーで一瞬のうちに落書きをしていくバンクシーの芸術性は買うが、
その周辺、後追いのクリエイターたちについては、魅力を感じないのだ。
それでも面白いと思ってしまったので、以下は備忘録。
このパフォーマンスを見かけて。
人間のほうは、Nick Sternという人の写真のようだ。You are not Banksy っていう写真。
2次元のステンシル画が3次元になることで、えらく猥雑になるのだなあ、と、思います。
ええ。オリジナルの衝撃のほうが、好きですけどね。