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読書録 『着物あとさき』

新潮文庫 青木玉 『着物あとさき』 読了。

新潮社のには書籍紹介には、

 母から娘へ、娘から孫へ、着物のいのちは果てることなく――。
 祖父・露伴愛用の羽織をいまに活かし、
 母・文が残した白生地にやさしい色を挿す。
 地味な着物は若返らせ、落ちないしみを上手に隠す……。
 確かな技術を持つ職人さんに支えられて、着物は五十年、百年を生きるのです。
 一枚の布に寄せる想いを大切に、創意工夫で美しく装う――

と、ある。色々見つかると思うけれど、周辺情報もあるサイトをリンク。



こういう、日本の古い文化の本を読むと、少し、悲しい。
美しくて、とても慎ましくて、でも、心と時間の使い方が贅沢だ。
すごく惹かれて、あこがれて、
そのあこがれの中には、自分がその文化に従っては暮らせないことが含まれてる。
だから、悲しい。

着物をほどいて、反物にして保管するとか、
年に一度か二度、その年にそでを通さなかった着物も、衣文掛けに広げて風を通してやるとか、
今の生活をしていると、なかなかできるものではない。
着物を着るのも畳むのも好きだけれど、
前日に(あるいはもっと前でも)半襟を掛けて、襦袢の袂の長さをそろえて、小物や草履を用意して、
        (もっともこれは、袂の長さの種類だけ襦袢があれば、手間をかけなくても可能)
和服を着て出かけた日は、一晩衣文掛けにかけておいて、
翌日、湿気の高くならないうちに、畳んで仕舞う。
三日間ないと、ワンプロセスが終わらない。
絹は生き物だから、何日も吊るしっぱなしにしてはいけないと、祖母の声のままに、
強迫観念のように、私は和服を大事にする。

高価だからとか、形見だからとか、そういう理由の入る余地もない。
だけど、長い間身近に置く着物だから、広げるたびに、いろんな記憶がよみがえる。


我が家にも、母の着た着物や、祖母の着た着物がある。
娘の七五三も、帯は新調したものの、私が着た蝶の柄の着物を着せた。

イメージ 1

………この着物には少しだけ悲しい思い出がある。
娘の七五三の少しあと、私の祖母が入院した。娘にとっては曾祖母だ。
もともと、祖母は臥していて、娘の七五三の姿は見ていないから、
かつて彼女が私のために見立てた着物を、私が娘にも着せたのを見てほしくて、
娘に和服を着せてお見舞いに連れて行った。
祖母は記憶が混乱していて、娘のことを私だと思って話しかけていた。
その次の日、亡くなった。

看取った母は、祖母が私に会いたがっていたから.... と、言っていた。
たぶん祖母は、子どもの頃の私に会いたがっていたのだろう、だから満足して逝ったのだ、と。
90歳を過ぎていたから、仕方のないことなのかもしれないが、
自分に似ているとわかっている娘を見せたことが、祖母の気力を奪ってしまったようで、
(今は冷静に考えることができるが) その時はひどく悲しかった。

大人のサイズに仕立て直せるのだが、これはこのままにしておこうと思う。


イメージ 2

さて、これも多分祖母の見立ててくれた着物。子どもサイズ。

私が子どもの頃は南半球に住んでいて、季節が逆転していたから、
松に御所車なんていう いかにもな正月模様が単衣に仕立てられていたりして、
娘に着せるには仕立て直しが大変だ。

娘も和服が好きで、何やかやと着るのだが、
化繊の着物なら外注するほどのこともないので、
見よう見まねで私が裏地をつけた。


長い間、桐ダンスにしまいこまれたままで、シミができてしまった着物には、
呉服屋さんを通じて、シミがうまく隠れるような柄をかけてもらった。

一時帰国だったのか、祖母の家に行ったら、反物屋さんが来ていて、
風呂敷を解き、巻いた反物の積み上げて、
祖母の前でクルクルと広げてみせていた記憶がある。

私の着物を買う予定だったのか、偶然居合わせたのか今となってはわからないが、
並べられた何枚かの中から、この着物は自分で選んだような気がする。
いや、偶然じゃないな。
子ども用の柄など、予定がなくては持ってこないだろうから、
きっと、私のために見つくろってきてくれていたのだろう。
蝶の着物と同じ時だったかもしれない。

鶴の柄のこの着物は、娘の一番のお気に入りである。
昨年のチビの七五三に便乗して、袴に合わせたのもこの着物だ。

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そう言えば、娘は3歳の時に2枚ほど新調しただけで、それ以外はすべて私のものを着ている。
普段着るものではないからとはいえ、慎ましいものである。

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たぶんこれが、今家にある中で一番古い着物かな。
これも娘のお気に入りで、一重でなければ11月 (チビの七五三) に着たがっていた矢絣の着物。
祖母が着て、母が着て、私が着ていたこともあって、娘も袖を通しているから、なんと4代である。
アンティークのアクセサリーでは、よく100年ものなどがあるが、
これもそれに匹敵するくらいの長寿である。


和のものは長持ち。絹は長持ち。
この本で青木さんも言っているが………
持ちがいいという理由ばかりでなはく、
和服と一緒に、それを単なる消耗品としてではなく、
愛しむ対象として大切に袖を通し続ける気持ちも、娘に継いでほしいなあ、と、思う。


 #しばらく前に、書いてあったのだが、忙しくなってアップできませんでした。
 #リコメントもしていないなあ、すみません。
 #今週末は、少しいろんな所にお邪魔します。