ブログ引越し検討中 (仮住まい)

yahooブログからの引越しを検討中です。現在テスト使用中。

読書録 『病む月』

唯川恵は、小池真理子と同様、一時期、古書店などからは「女流本」とくくられる本を出していた作家で、 
彼女の小説は、その名の通り、女が主人公の場合がほとんどだ。
 
以前から、実験室の隅の文庫本の山には、女性本の割合が多いような気はしていた。
先日帰宅前、今日は何を持って帰ろうかと、山を崩していた時に、突然、思い出した。
BOOK OFF 等が確立する前、
研究所のそばにあった古書買取店では、これらの女流本を引き取らなかったのだ。
私は、(引き取り価格を計算するのに時間がかかるので) 電話で店が暇かどうか聞きだしていたのだが、
その時に、「女流本は回転が悪いから引き取らない」 と、聞いたのだ。
 
なんとなくわかる気がする。
 
ネットで購入できる現在ならいざ知らず、
女性の多くは、欲しい本を書店で購入して、古書店には足を運ばない。
私が古書店に行く時間帯のせいもあったかもしれないが、当時店で見かけた客層を見れば明らかである。
年配のおじさんか、(CDを買いに来る) 学生がほとんどだった。
歴史物は他のものより高額で引き取る、と古書店主が言ったのも、
それらの本がおじさんたちに人気があったからかもしれないと思う。

        まあ、この辺の話はどうでもいい。
 
というわけで山崩し本。集英社文庫 唯川恵 『病む月』 再読了。
女が主人公で、金沢周辺を舞台にした短編集。
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4087475840/ref=dp_top_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&showViewpoints=1
上で、女流本とひとくくりにしたが、他の女流本に比べてこの作家の作品は気に入っている。

『病む月』 の中には、他のアンソロジーの中にもよく編纂されている 『瑠璃の雨降る』 がある。
 
 <『瑠璃の雨降る』 のあらすじ>
  自分の作品を作る硝子工房が欲しくて、主人公はふた周りも年上の男の愛人になる。
  金のためと割り切りつつ、時に優しい気持ちで手料理を振舞おうとするが、実現しない。
  相手の男の方もビジネスライクで、彼女に愛着を示す様子はない。
  やがて、彼女の作品が売れ始め、男の足は遠のき、愛人契約は終わる。
  彼女は脚光を浴び、忙しく作品を生み出すようになるが、
  彼女の作品にいち早く目をかけてくれた匿名の客の依頼だけは必ず引き受け、丁寧に作る。
  男の葬儀の日、彼女は棺の中に、匿名の客に売ったはずの作品群を見つける。
 
それぞれの思いは届かず、ハッピーエンドではない。
ディレッタントが身内だったり知り合いだったりする小説も数あるだろう。
それを皮肉な結末として使っている作品もある。(その方が多いかも))
でも、それらの作品群の中で、私はこの小説の美しい無念さが一番好きだ。

『聖母になる日』 の一シーンも、記憶していた。
 不随意性運動麻痺という障害を持つ子供は、常に、踊るように手足を持ち上げ、動かしている。
 他人や父親は子供を気の毒だと思い、目をそむけ、そのあげく離れようとするが、
 母親は子供の手足の動きを美しいと思う。
 独りで看病し続け、子供が死んだ時、踊り続けていた手足が、初めてシーツに沈む。
 小説には母親の女友だちや酒場の謎の男も出て来るのだが、そんな部分はどうでもよく、
 ただ、子供の手足の動きと、それがパタンとシーツに落ちる情景が、強烈に残っていた。
 
 ああ、この人の小説だったのか。 名画に再会したような気分で読み終えた。
 
『病む月』 の中には、いろんな女が出てくる。
『川面を滑る風』 や 『天女』 のように、オチはわかっても心の動きがピンとこないものもの、
『雪おんな』 のように、主人公の心境はわからないものの、なんとなくいいな、と思うもの、
『瑠璃の雨降る』 のように切ないものもある。
『過去が届く午後』 は、ありきたりなホラーだが、まあ、こんなもんかな、という程度。

当たり外れが激しい、と言えばそんな気もするのだが、考え直してみるとこの作者はすごい。
女性が主人公でも、決してマイライフを書いているわけじゃないからだ。
どちらかというと暗い作品(暗くても陰湿ではなく美しい作品) という共通点があるものの、
さばさばと明るい性格、攻撃的な性格、悩みやすい人、我慢してしまう人、など、
性格も職業も知的レベルも実にバラエティに富んで様々なのである。
小池真理子の描き出す女性が、職業が違ってもどこかワンパターン(しかも私には不快)なのと対照的だ。
 
  日本の作家は、主人公の知的レベルを変化させるのが不得手な気がする。
  日本語の構造のせいかもしれないが、言葉や言い回しが多いため、
  作者が普段使っている言葉と語彙が、小説内に出てしまいやすいのだと思う。
  つまり、それは作者の知識と生活レベルであって、
  作りものの小説なのに主人公がワンパターンになる原因だと思う。
  真保祐一の小説に、馬鹿が存在しないのもそのせいではないのだろうか。
  初期の赤川次郎は、主人公の知的レベルや性格を変化させられる、テクニカルな小説家だと思っていたが、
  有名作家になった途端に、根が明るくてちょっと知的、素が面白い、という、
  読者受けした性格のキャラばかり書くようになってしまった。
  
唯川恵は、小説に自分が出ない、自分を使わない作家なのだと思う。
……の割に、ストーリーのパターンは似ているので、今の所、絶賛はしていないのだけど。
 
彼女なら、テロリストとか宇宙人とか、とんでもない主人公を設定しても、
「宇宙人としてそれは変なんじゃないか?」 という違和感を感じさせない性格設定と
説得力のある小説が書ける...........
そんな数少ない作家なのではないかと、期待している。