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読書録 『グラスホッパー』

角川文庫 伊坂幸太郎 『グラスホッパー』 読了
 
 <wikiからあらすじ>
 妻を殺した男に復讐しようと、職を辞し、男の父親が経営する会社に契約社員として入った鈴木。
 ところが、自分の目の前でその男が車に轢かれる。「押し屋」と呼ばれる殺し屋の仕業だった。
 命じられるままに押し屋を追った鈴木だが、押し屋に温かい家庭があることを知り、
 その居場所を上司に報告できなくなってしまう。
 一方、自殺専門の殺し屋・鯨は過去を清算するために、
 ナイフ使いの殺し屋・蝉は手柄を立てるために、押し屋を探していた。

これは・・・・・・・・どう言ったらいいのだろう 
つまらなくて、途中で投げるということはないのだが
あるいは、誉田哲也みたいに、「何だこの登場人物はっ」 と、脱力することもないのだが、
ついでに言うと、この人のサラサラとした (乾いているけれど冷たくはない) 文体は、嫌いではないのだが。

わざわざ書店に行って購入した本だと思うと、かなり不満だ。 
 
確かに、洒落た会話や可笑みのある心の動き (素で笑いをとる芸人みたいな) が
波状攻撃的に記述されていて、サクサク読み進むことはできる。
ただ、どのキャラクターも、コーディネートとして捏なれていない感じで、
話の進みが早いだけに、かえって混乱する。
 
   「鈴木」 「鯨」 「蝉」 そして 「槿(あさがお)」
 
鈴木がなんとなく主人公格、鯨と蝉は、記述ローテーションを担う一人称表記ながら、
なんとなく脇役っぽい。 
一人称記述にするなら、もっと極端に記述の様相を変えてほしかった。
一人称にならない 「槿」 が一番重みがある、というか、深みのあるキャラクターだったのだが、
それが彼を一人称にせずに、グダグダ書きこまれていなかったからという理由だと思うと、
何やら (小説としての) 矛盾を感じる。
イメージ 1
いいところもたくさんある、とは思う。
「鯨」がドストエフスキーを延々と愛読しているところとか、
「槿」の子どもたち(?)の 「バカジャナイノ~」 とか。
都会の人と、昆虫を重ね合わせるのはうまく計算したものだと思う。
一見関係ないような学生時代の記憶として、昆虫が出てくるところも。
 
ただ、それが何の関連もないはずの 「槿」 の口から
回答として出てきてしまうのが、
なんとな~く、ご都合主義的な気がした。
 
ご都合主義といえば、キャラクターのコーディネート(?)を乱す部分も、多分そのあたりに起因していて、
確かに、このシーンでこう言うセリフがあればいいんだろうな、とは思うんだけど、
このキャラがそれを口にしていいのか、と思う部分が多々あった。
例えば、蝉の上司がそれまでの布石もなく、急にいい人発言をしちゃったり、
バカを売り物にしていた蝉が、突然、哲学的なことを言ってみたり、
数行づつ読んでいれば、その時その時で面白いが、通しで読むと、こいつって、こんな設定だっけ? となる。
キャラクター把握がしにくいので、感情移入もできない。
 
  悪人は悪人でコーディネートされてれば、
  自分との一致点がなくても感情移入はできるものだと思ってる。
  それにたとえば、把握できないなら把握的ないで、『死神の精度』 の千葉みたいに
  遠い距離感が保たれていれば、納得もいくのだ。
 
筆者の本来の魅力である、爽快感もなかったし、かなり残念な作品でした。

あ、忘れてた。
ラストシーンはとっても良かったです。 
いろんなレビュー見ると、ラストがわからない、って人も多かったようだけどね 

  <気になる方たちへの、ラストの解説:反転して読んでね♪>
  それまでに殺した人間の幽霊に悩まされている 「鯨」 に、
  元カウンセラーだというホームレスが、
  「その手の妄想や幻覚は、信号機のフリッカーが止まらなかったり、
  目の前を通り過ぎる電車がやけに長い(延々続く)と感じたり、することから始まる」
  と、話すくだりがある。
  ラストシーンで、鈴木は目の前の電車がいつになっても通過しきらない、と感じている。
  多分、それは、これから悩まされるであろう妄想の始まりなのだ。
  
  「蝉」も「鯨」も、薬物&臓器売買組織の 「フロイライン」 の連中も、みんな死んでしまうのだが、
  それは筆者である伊坂氏の、そういう連中は許さねえ、というスタンスなのかもしれないと感じた。
  そして、復讐のためとはいえ 「フロイライン」 の社員として、薬物を売りつけていた鈴木も
  (伊坂氏に) 許されなかったんだなあ、という気がするのだ。
  ディーバーの勧善懲悪じゃないけど、殺人者たちの話を、爽快で清々しいラストにはするものか、
  という、筆者の拘りみたいなものを感じたのだ。
 
  まあ、だから、小説としてはどっちつかずになっちゃったのかもしれないけど。