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満月とサロメ

今夜は月食ですね。 月食になるからには、その日は満月中の満月。
 
月(ルナ:Luna)は英語の狂気(ルナシー:lunacy)の語源なくらいで、
イメージが狂気に繋がるばかりでなく、タロットカードでも不吉や不安の象徴だったりします。
 イメージ 1
厳密な語学的意味とか、科学根拠を取っ払って、 
これらの言葉の印象だけ言わせて貰えば、
ルナティック、というのは、同じ狂気でも、
マッドネスとは根本的に違う気がします。
 (*語学的意味も違いますが、普段は区別していないように見えます)
 
投薬や手術や、あるいは剣やら銃やら力ずくで退治可能な
ハリウッド映画的狂気がマッドネスなら、
「あんな大人しい人が何故」、と、
意外性があったりお洒落なのが、フランス映画風のルナティック。
普段と違った状態になるのが、月の満ち欠けによると言われて、
ルナが語源になったとか。 
月明かりの下で舞うサロメは、
とても、サロメ・ザ・マッドネスという雰囲気ではないから――
 
右は、パリの画家、ギュスターブ=モローのサロメ
サロメはもちろんオスカー=ワイルドの戯曲と、
ビアズリーの挿絵の印象が一番強いものの、
最後は殺されてしまうことを思うと、モローの、神秘的で敬虔にも見える姿が一番似合う気がするのです。
白百合を持ち、七枚のヴェールを纏って踊るこの少女は、大きな絵画の一部分です。
 
 
ワイルドの戯曲の中のサロメは、踊りの名手で美しい娘ではあるけれど、妖艶ではありません。
 
一方、ヘロデ王は兄貴を倒して王位を奪い、ついでに兄貴の妃だったエロディアーテを妻にし、
あげくにエロディアーテの連れ子(つまり姪っ子)のサロメにまで好色な目を向ける下品な男です。
 
純粋なのかおバカなのか、サロメはヘロデを嫌いながらも、その辺のことがわからない風に書かれています。
そして民衆を虜にしたというヨカナーンの姿に好奇心を抱き、投獄されている彼を見に行くのです。
カナーンはと言えば、むしろサロメよりも妖艶なくらい美系に描写されています。
捕まって閉じ込められている身で、閉じ込めた側の娘に愛想を良くできるわけはないのですが、
サロメはエロディアーテの娘なだけで、キリスト教徒の虐待も民衆の虐待もしていません、なのに)
ロディアーテを嫌うヨカナーンは、サロメは生まれが汚らわしいと叫び、会話をしようともしないのです。
                            キリスト教の伝道者として、この態度はいかがなものか…… と、思います。
 
サロメははじめ、踊りの褒美を何も望んでいなかったのに、母親に唆されて「ヨカナーンの首」と言いだします。
首だけになれば、自分が触れることが出来ると考えたのでしょうか?
カナーンに拒絶されて悲しい、ヨカナーンが欲しい。 リアリティや邪念のない処女の性欲とでもいうのかな。
彼女は明晰な様子もあるけれど、あまりにも情報が少なく、他人の悪意に無頓着で、やっぱりおバカなのです。
カナーンの首に口づけ、その姿に怯えたヘロデ王に殺されてしまいます。
 
そのあたり・・・・・・月を見上げたすべての人が狂っている。 月の促した狂気なのかもしれません。
 
 
イメージ 2
 
好奇心旺盛で、純粋で高貴で(もっとも、母親はあのエロディアーテだけど)、
頭は悪くないけれど愚かなサロメは、モローの描いたシリーズに、一番似合うように思います。
 
もともとの聖書には、名前さえなかったサロメですが、ビアズリーやモローの他に、多くの画家が描いています。
妖艶で、とてもティーンエイジャーには見えないものや、愛情豊かなもの、悲しそうなものや、
首の持ち方一つにしてもいろいろあるようです。
イメージ 3
 
右下のモローや、その隣の、泣き出しそうな目をしたマリナリのサロメを私は気に入ってます。
白黒のは、ビアズリーのものと、高畠華宵のもの。
上左のフィリッポ=リッピの大きな絵は、物語の3シーンに対応した3人のサロメが描かれています。
江戸の歌舞伎絵などでは見かける手法ですが、洋画でもあったんですね。
 
そうそう、シュトラウスの曲を使った舞台では、こんなものもあるようです。
ハリウッドサロメとでもいうのか、もしも実写したら、こんなものでしょうね。
 
イメージ 4
 
                                                 さて、月食、見てきます。