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読書録『なりたい』

ある読書ブログで、読みたいと思って購入した本が、読む時間がないまま積みあがっている、とコメントしたら、
リコメントで、「本はナマモノ」と言われた。

とてもよくわかる。

エンターテイメント系の小説が好きだからなおさら、時代や流行を反映してしまう。
一番面白いときに読みたい、と、思う。
と言うわけで今朝は、積んであった本を一冊、手に取った。


と、いうわけで、新潮文庫 畠中恵 『なりたい』読了。
しゃばけシリーズの―――第何弾なのだろう?
最終話っぽい『えどさがし』を読み終わって、一段落かなあと思って探していなかったのだが、続いていたようだ。
表紙裏を眺めてみたら、間に一作、『すえずえ』 というのを読んでいない。そのうち探そう。

しゃばけシリーズはシンプルだ。
体の弱い若だんなと、妖である手代の二人が、鳴家をはじめとする妖の協力で不思議な話を解決する話だ。
病弱なホームズ、屈強で強引なワトスン二人に、少年探偵団、と言う感じだ。
『なりたい』 は、
妖になりたい(人)、人になりたい(妖)、猫になりたい(人&妖)、親になりたい(人)、
そして、りっぱになりたい(幽霊や、若だんな)の話になる。
一つ一つの話はそれなりに楽しめるのだが、シリーズが始まったころのインパクトはない。

気楽に読めるから、気に入っているシリーズであることには違いないが。


何度か書いているかもしれないが。
妖怪でも、超能力者でも、その範囲の中でがんばるのがフェアではないかと思う。。
小説の都合で能力を持たされるのではなく、自分の持つ能力の中で、苦悩するのがいい。
『皮剥ぎ人』の中で、喘息に苦しむ狼男が、吸引の薬を持っていないとき、
シャワーを出しっぱなしにした中にいるとのどの苦しさがマシになる、と言うシーンがあって、
また、狼に変貌していいことがあるとしたら、喘息が楽になる、と話す。
本編に関係のないシーンなのだが、小児喘息だった私は、その一節で感情移入した。
そして、できること・できないことのある実態のあるクリーチャーを、描いているようで、
このジョージ=マーティンという作家がとても好きになった。

しゃばけの妖たちも、できることできないことがはっきりしていて、その範囲の中で苦労する。

キャラが立っている、と言ってしまえば一言で終わりだが、
そんなキャラクターたちの実態のある小説だから、読み続けているのかもしれない、と思う。