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読書録 『リアルヘブンへようこそ』

読書録その2は、牧野修 『リアルヘブンへようこそ』

 
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牧野修のグロテスク加減が好きさ♪

『ファントムケーブル』『忌まわしい箱』など、作品傾向は知っているが長編を読むのは初めて。
   
短編集はいつも微妙にSF。時々キリスト教的。
  
そんなこんなで写真はノートルダム寺院、サン・シュルピス寺院等フランスの寺院を貼り付けてます。
いずれも2006年の撮影です。
 
 
『リアルヘブンへようこそ』はゲームか映画にもなってたような。

まあ、田中啓文と同じ系統だけども。
田中啓文の方が子供っぽくストレートで、ダジャレは多いし、わからない部分が多いのだが、
牧野修は、彼ら以上に生理的な嫌悪感を刺激してくる。


真夏の渋滞で生ゴミが詰まったゴミ収集車の後ろについたオープンカーが、運悪く玉突き衝突にあって、
腐ったキャベツやら、食い散らかされた魚の骨やら、わけのわからないオレンジ色のベタベタやら、
そんな生ゴミを頭から浴びて、窒息しそうな目に会うのが田中啓文なら、

レストランでスープ料理のパイ皮の蓋をスプーンで砕いたら、中から腐臭の上がる残飯が....っ 
というのが牧野修な気がする。

   パイ皮砕いたら、エイリアン飛び出しっ だとスティーブンキング
   美味しく食べてから、呪われた食中毒、だと.... 誰だろう? 

規模的には、牧野作品のほうが大きいのだが、何というのかな、
グロテスク加減の大胆さでは、いつも田中啓文が勝ってるような気がするのだ。
いや、単に、田中啓文のほうがビジュアルなのかな。
どっちの可能性がありそうかと考えたら、牧野修なんだけどね。


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小林 泰三という作家も、新作が出れば購入してます。
玩具修理者』良かったなぁ♪
よく平積みになってる、大石圭なんかより、ずーーーーーーっと怖い気がする。
 
そうそう、小林泰三田中啓文田中哲弥牧野修って、まとめて
「まんがカルテット」というのだそうです。


さて、話の内容に触れる。
本人があとがきにも書いているが、日本のホラーの難しいところは、孤立する街を作りにくいことだと思う。
米国のジェルサレムロッド(スティーブン・キングの人外に占拠された街)は
嵐で道を封鎖してしまえば簡単に作れるが、日本には街の切れ目がほとんどない。
携帯電話の通じない住宅地もほとんどない。

一方、嵐で人の行き気ができなくなるような田舎なら、
超自然な妖怪が出てきてもそれほど不思議じゃない気がしてしまう。

大体、事件が起きるほど人がいない.....orz  (大体、こんな内容だったと思う)

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折衷案としてリアルヘブンが舞台にしたのは、
山の中に作った、新興住宅地。住宅だけでなくネットが使えて、コンビニがあって、
団地も学校も病院も…… ある。街一つを作った感じだ。

で、そこまで広い土地を一気に開拓するとなると、インディアンの聖地....じゃなかった、
元からの地元の因縁話もあるし、禁忌も埋まっているし...... 
何しろ日常である住宅地を持っていくまでは、妖怪が出てもおかしくないスーパー田舎なのである。

そういう街に、ホームレスが集まってくる。

冒頭のホームレスウォッチャーのHPの異様さが、後まで続いていけば、もっと良かったんだけどね。
ホームレスは、正義側だから、そういうわけにもいかないかw

ともあれ、
正義と悪と、そのどちらでもない弱さと..... キャラクター達は一人の中に、そのすべてを持ってる。

牧野作品の登場人物は、弱さ爆発で悪に染まってしまうことが多いが、
それでも時々、強さが残っていることを示したりする。

牧野作品の主人公が(あるいは作者が)、その弱い人間の中の正義をご都合主義的に使うことはなくて、
弱い人間は、やっぱり悪の手に落ちたり、脇役らしく死んでしまうことが多いのだが、
稀であるゆえに、読後やエピローグでの救いになる。

救いになって、派手なホラー作品の中に、悲しみを作りだす。



真保作品の登場人物が、いいもんも悪いもんも、社会的地位の高い人物も低い人物も
“強い”意志を持っているのと対照的である。

うまく言えないが真保作品では「意志が弱い」キャラなら徹底して意志が弱く、
どんな状況においても意志の弱さを貫く (苦笑) のだ。

だから、作中で意志の強い登場人物の気が変われば、あっち側からこっち側に極端に振れる。
読者としては、なんだかなあ、となってしまう。

   あ.........そうか。
   人間は二の次で、トリックメインと、そのディテールがメインだと、
   人間はわかりやすくストレートのほうがいいが、
   人間メインの話だと、そのアイデンティティーの確かさが
   違和感やご都合主義と見えてしまうのか。

牧野の主人公は、常にとは言わないが、物語の中で成長し、クライマックスで頑張ったりする。
その頑張りに、弱者の中に埋もれていた正義が呼応したりする...... 

それはほんの稀ではあるのだが。


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時々、思う。

 正義とはなんだろう。人の好意とか、善意とはなんだろう?
 あらゆる人間の中に、誠実さ不実さ、良いところ悪いところ、正義と悪と、いい加減さとまじめさと、
 いろんなものがゴッタゴタに詰まっている。

 表に出てくる性格以外は、たいてい埋まっている。

 でも、多かれ少なかれ、どれもがすこしは存在している(かつては存在していた)はずなのだ。

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 ホラー作品を書きたいわけでも、正義のヒーローを生み出したいわけでもなくて、
 他人と付き合う時に、人間の中に潜む、善意、熱意、正義感、そんなものを呼び出て、
 その部分でつきあっていければ、と、思う。


 少し仕事ぽい話をすると、新しいプロジェクトを立ち上げようとしたり、
 自分の研究のために新しい予算をもらうためのプレゼンをする時は、
 成功の可能性や、将来性をうまくプレゼンテーションするのは必須だが、
 そのほかに、審査員が若いころに持っていた好奇心や熱意を、いかに呼び起こすか
 というのが勝負になります。

 他人の熱意と好奇心を、利用するといえば、利用しているのだが……

   自分の研究が面白いという自信がないと、
   他人の好奇心を巻き込んだりはできない………というのを、免罪符にしている。
  
  #熱に浮かされ、勢いで書いた応募書類が功のなすのは、そういう理由だと思います♪