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上のフロアの大教授

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出張先の奈良で、恩師の訃報をい聞いた。

1920年生まれというから大往生と言っていいのかもしれないが、
だからと言って、悲しいことには変わりがない。

大大大大先生だったから、
私たちが国際会議や国内学会の座長やらタイムキーパーやら、エクスカーションのアナウンスやら、と、
実行スタッフとして駆け回ってる時間に、
会場に作られたちょっと静かな控室で、偉い先生方ばかりと、
これからの学会の方針や、広くは日本の科学技術の進む方向などを、打ち合わせてらした。

「○○先生、上のフロアに来てるよ」

と、聞いても、その日に会えなくても、またいつでも会えると思っていたし、
会場のどこかに居らしてるのが知っているだけで、なんとなく安心していた。

大教授は大教授の仕事をして、で、私たちは私たちの役目を果たして、
でも、必ずどこかに居てくれる...... そんな時期が長かった。
それが当たり前に長すぎて、お年を召して、学会に足を運ばれなくなった時は、とても寂しく思ったものだ。

もっと昔………学部の頃に、電磁気学と、真空工学を教えていただいた。

正確には、恩師というより、恩師の恩師に当たる人なので、
(私にとっては怖い教授だったりもしたが)先生のほうは孫弟子のような気持ちでいらしたのかもしれない。
私は祖父というものをほとんど知らないので、実際の親や祖父がどんなふうに孫娘を扱うのかわからないが、
学問に対して怖いのよりも、プライベートに口うるさかったのを覚えている。

女子大生の、スカートの丈やボーイフレンドの選び方まで文句を言うのは、
セクハラと言えなくもないのだけど、
で、その大教授と私のやりとりに、助教授なんかはハラハラしていた時もあるらしいのだが、
私は「口うるさいなあ」、と思っても、セクハラだと思ったことはなかった。

 「あの男(クラスメートなので、実は自校の学生)に、魅力があるとは思えんぞ」
 「背高いし、かっこいいじゃないですか」
 「君は見かけがよければいいのか!」

  ………うーん(^_^; 性格も悪くなかったと思うのだが。
  大した付き合いをしていたわけでもないのに、仲のいい男子生徒には次々と文句をつけた。
  で、彼があれがいい、という学生とは、私は犬猿の仲だったりした。
  何のことはない、教授がお気に入りの男子学生だから、私が悔しかったのだ。

  プライベートに関してはいつも話が平行線で、私はほとんど教授の言うことを聞かず、
  でも、私が彼の学生でいる間じゅう、教授の苦言が止まることはなかった。
  はじめは心配していた助教授も、いつものこと、と、聞き流すようになった。

 「君は絶対物理に向いてるぞ。
  この図(レポートに書いたグラフ)は、ちゃんとわかっていなければ書けん。
  コピーしてこのまま模範解答として配布していいか?」
 「…………(文章をそのまま絵に描いただけなんですが~)」

  美大を受けて落ちていたので、理学部で絵を褒められるのは抵抗があったが、
  出版するテキストの原稿を作るときに、この説明はどんな絵がいいだろう、と相談してくれたりした。
  テキストの内容をすべてわかるなんて、とてもとても無理な学部学生の時期だったけれど、
  偉い先生と、同じことを悩むのが、誇らしかった。
  その頃あんまりおだてられたから、大学院に進学してしまったのかもしれない。
  
  結婚すると報告した時は、「なかなかいいのを選んだな」 と褒められた。
  結婚式では主賓を務めてくださった。

  写真がご趣味で、深い赤い色のバラの花がお好きだった。

  猫よりも犬が好き。

  ときどき料理に凝って、学生を招いては振舞ったりする。

  敗戦のときの、日本の物理学者たちの心境を、酔って話してらしたこともある。
            (先生も覚えてらっしゃらないかもしれないけど、私の宝物だから、内緒だ)



入院されている教授を、私は見舞っていない。
教授の奥様に、(教授は) 弱った姿で人に会いたがらないだろう、と伺っていたので。
昏睡と、半覚醒を繰り返してらした。
からしばらく前から覚悟はしていた。 

だけど、見舞っていないから、私が思いだす教授は、豪快な姿のままだ。
お通夜でお姿を見たら........きっと泣いてしまうんだろうな。